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心配事は筆を鈍らせる

明日からの一週間は、心身ともにハードスケジュールで、特に月火水の3日間は、とある二つの仕事の山場を迎えることになっている。

この大きな二つの仕事は、未来への取り組みと、過去との向き合いとに分かれていて、共に苦難が待ち受けているため、かなり気が重い状況にある。

ただ、未来に向けた仕事は、多少の苦労があっても乗り越えていこうとする前向きな力が漲(みなぎ)るが、あまりうまくいかなかった過去の清算業務は、恐ろしいほどにやる気が湧かない。

しかも、言い訳ではないが、過去のうまくいかなかった事案は、自分のせいではなく、多分に人の失策に巻き込まれてしまったものである。

強いて言えば、付き合った相手が悪かったのは確かだ。自分が人を見る目がなかったこと、イマイチなパートナーを早めに見限らなかったことについては、深く負い目を感じるところである。


不思議なもので、何かうまくいっていない案件を抱えてしまうと、他の仕事についても、同じようにうまくいかなくなるような気がしてくる。

ただでさえ、どんな仕事でもトラブルなく最後までうまく進むことなどありえないものだ。必ずミスが出てくるし、自分だけでは対処できない問題も起こってしまう。

常に仕事というものは、問題整理やら、その調整やら、ミスのリカバリーに追われるものなのだ。


先週からこの週末にかけて、明日から迎える仕事の山場が気にかかる日々であった。

するとこれまた不思議なのだが、noteの記事もうまく書けなくなってしまう。心配事が頭を支配して、筆が鈍るのである。


僕のnoteは、一定のテンションで記事を残していくことを、ずっとポリシーにしている。

特に藤子作品のレビュー記事については、その作品を読んだ人が、作品の理解度を深めるために検索してたどり着くことを想定して書いている。たまたまその記事にたどり着くことが多いだろうから、それを一期一会を捉えて、できる限り記事の質やテンションを揃えておきたいのである。

ところが筆が鈍ると、記事のクオリティは一気に下がる。難しい題材にチャレンジする気力も低下するので、安パイな、惰性で書いたような記事を量産してしまう。粗製乱造とは、まさしくこのことだ。


また、週の前半に待ち構えている仕事の山場を考えると、明日以降も藤子記事を丁寧に書く時間がうまく取れそうにない。よって、他愛のない記事を書いて「毎日更新」だけ維持させることになる可能性が高い。

そう考えると、心身の調子を一定に整えて、継続的に作品を残し続ける人たちには、頭が下がる思いがする。

例えば、藤子先生は、30歳の時に連載が始まった「オバケのQ太郎」以来、膨大な仕事量を毎日毎月と欠かさずに積み重ねていた。しかもかなりのハイクオリティである。

いくらプロだと言っても、心配事やうまくいかないこともあるだろう。筆が鈍る時だってあったはず。けれど、常に高いレベルの作品を世に送り出し続けていた。


藤子先生のことを考えると、自分程度の人間の悩みなど小さいもので、筆が鈍るなんておこがましい気もしてくる。

まあ、自分のできる範囲内で頑張ることなんだろうと思う。頑張れない部分は人に頼ったり、時には丸無視したりして、気分の落ち込みを最小限に食い止めるべし。

そんなことを考える週末なのであった。




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