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15の俺は俺のことを見ていない/居ねよ35の俺 20/08/31

10歳の頃からずっと同じ部屋に住んでいる。今年25になるので今年で15年、人生の5分の3は同じ空間で過ごしてきたことになる。

スマホ片手に寝っ転がっているこのベッドも、布団以外は同じものを使い続けている。どころか机も本棚も、おおよそ主要な家具は15年間そのままで、一つ一つにさまざまに私が降り積もっているはずだ。今の私の寝転びすら、ただの寝転びでなく15*365-なんやかんやして、だいたい5000の過去の私と重なり合っての寝転びともいえるかもしれない。

ただだからといって、今の私から見て過去の私をこの部屋の中で即座に感じ取れるかというとそれは別の話だ。毛布にくるまり泣いた自分は、胸の内には確かに居るが、今、この場所は今の私のものという気がする。

そしておそらくはそれでいいのだろう。15の空間は15の私のものだったのだ。そしてかれの持つ歪んだざるで掬えた何かを持って、毎日を生きていた。そして空間もざるも受け継いで、25の私が此処に住んでいる。

15の私から見て、25の私はどうだろう。未来なぞ考える頭もなかった気もするが、きっと想像していたよりは駄目な人間になっているのではないか。でも一方で、15の私が目の前に居れば、おそらく馬は合うのではないかと思うが、ふわっとお化けのように出てきてみてはくれないだろうか?

しかし35の私はさすがにこの部屋を離れていてほしいものだが、一体どこで何をしているやら。





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