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【マーラー交響曲第2番《復活》①】第1楽章に潜む死の影…

こんにちは。ハモンドオルガンちゃんです!

今回は

マーラー交響曲第2番《復活》
(以下、《復活》or マラ2)

を解説していきます。
この曲もおもしろポイント満載なので、楽しく解説していきます。
前回までで、バルトークに食傷気味になっている方も気分を変えて参りましょう!

本日の目次はこちら(タップorクリックで飛べます)

世界観と全体を貫くストーリー

《復活》という通称から多少想像できますが、この曲はゴリゴリのキリスト教的世界観にマーラー自身の体験を投影させたものをベースに構築されています。

全体を貫くストーリーとしてこの曲では

「死を経ての復活(=再生・永遠の生)」

が描かれています。

「死」は第1楽章で
「復活(再生・永遠の生)」は第5楽章で

描かれます。

このストーリー、どこかで聞いたことがないでしょうか。

そうです。
この「死から生へ」というストーリーは
あのベートーヴェン的なストーリーになぞらえられていますね。

全体像

マーラーはこの交響曲で「死を経ての復活(永遠の生)」を描こうとしました。全5楽章の中で「死」は第1楽章で、「復活」は第5楽章で描かれます。

マーラーによる解題
第1楽章: 主人公の英雄的闘争と敗北と死
第2楽章: 過去の幸福を回想する間奏曲
第3楽章: 不条理な現世への懐疑と憎悪
第4楽章: 神の下で永遠の生命を求める祈りの歌
第5楽章: 最後の審判の日の恐怖と死者の復活

人はなんのために生き、なぜ死ぬのか、誰でも一度は考えますよね。
マーラーもそんな人間の死と生の葛藤をこの曲で表そうとしたのでしょうか。

第1楽章
「英雄」の死

マーラーは交響曲第1番《巨人》で、

英雄的な若者(≒マーラー自身)の苦闘(主に失恋, 恋の悩み)

それを乗り越えた勝利

という自分の体験に基づいた物語を描きました。
失恋した自分を英雄として描いているところがなんとも面白い笑

そしてマーラーは《復活》1楽章でこの「英雄」の「死」を描きます。
第1番《巨人》で勝利した英雄が死んだところから曲はスタートです。

えぇえぇ!?

って感じですよね笑

マーラーは友人宛の手紙で次のように言っています。

「《ニ長調交響曲》(第1番)で主役を演じた英雄を、私は第1楽章で墓場へ運びます。汝(なんじ)はなぜ生きたのか?なぜ苦しんだのか?その答えを私は第5楽章で与えたのです」

交響曲第1番《巨人》の初稿版(音詩版)が完成した1888年に、マーラーは既に交響曲第2番の作曲にも着手しています。

第1番の初稿が完成した同じ年に第2番第1楽章が完成していることからマーラーには元々この「《巨人》の英雄の死」の構想があったと思われます。

1楽章の"死の影"

では1楽章で「死」を表しているところを見ていきます。

交響詩《葬礼》

マーラーは第2番第1楽章の完成後、作曲に行き詰まりました。悩んだ末、第1楽章となるはずのこの曲を交響曲の構想から切り離し交響詩《葬礼 Todtenfeier》として楽譜出版社(Shcott社)から世に発表しようとしました。
結局うまくいきませんでしたが。

《葬礼》というタイトルの通り、「死」が描かれています。

1891年、マーラーは敬愛する名指揮者ハンス・フォン・ビューローにピアノでこの《葬礼》を演奏して聴かせます。しかし、

「この曲に比べれば(ワーグナーの)《トリスタンとイゾルデ》もハイドンの交響曲のようなものだ(=こんなもの音楽じゃない)」

という旨の皮肉を言われ、ひどく落胆します。

これものすごい皮肉ですよね(苦笑)

これが原因となり本格的な作曲再開は1893年まで待たれることになります。

ちなみに同時期に交響詩《マクベス》を作曲した、同じく指揮者で作曲家のR.シュトラウスも同じようにビューローにピアノで曲を聴かせているんですが、こちらは衝撃を与えたものの、よりブラッシュアップするようなアドバイスをもらっていたり、反応が真逆なんですよね…。

交響詩《葬礼 Todtenfeier》は、「死」を表す《復活》第1楽章のいわば初稿とも言える曲です。この曲は独立性がかなり強く、《復活》の第1楽章として組み入れられてからもマーラーは第1楽章のあとに「少なくとも五分間の休憩を入れること」と指示を書き込んでいます。(実際の演奏で守られることは稀です。)

《復活》のコンセプトを理解する上で聴いておくと参考になります。《復活》第1楽章に対してアーティキュレーションやオーケストレーションの違いが見えてマーラーの試行錯誤を感じ取れておもしろいです。

怒りの日

第1楽章にはもう一つ「死」の要素があります。

それが「怒りの日」です。

怒りの日(Dies Irae, ディエス・イレ)
キリスト教における終末思想。キリストが世界の終わりに過去を含めたすべての人類を地上に復活させ、生前の行いを審判し天国に行く人と地獄に行く人を選別することとそれが行われる日のこと。グレゴリオ聖歌ではこの「怒りの日」の様子を旋律に乗せて詠われます。

僕は個人的に「みんな大好き怒りの日」と呼んでいますが(笑)、たくさんの作曲家がこのグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律で作曲しています。

リスト 死の舞踏
ベルリオーズ 幻想交響曲第5楽章
交響的舞曲第3楽章

などなど。
「怒りの日」は死者のために詠われるものです。それから死を連想させるものとして捉えられるようになりました。

今回《復活》で使われている「怒りの日」の旋律もグレゴリオ聖歌から引用されたものです。これによって強烈に「死」が印象付けられます。

お約束の譜例とベタ打ち音源を貼っておきます。

グレゴリオ聖歌 「怒りの日」旋律

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《復活》1楽章 「怒りの日」引用部分
270小節目〜ホルン(F管)のコラール風モティーフ

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まとめ

今回は《復活》全体の世界観・ストーリーと第1楽章に潜む死の影に迫りました。次回は第1楽章の「死」に対するアンサー、第5楽章の「復活」に迫ります。

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