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交響詩《英雄の生涯》クラオタ的曲解説 第1回 予備知識編 興奮ポイント盛り盛り♥️

リヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩《英雄の生涯》。
この曲はリヒャルト・シュトラウスが25歳~35歳の約10年間に渡る“交響詩の時代”最後の作品です。

この解説では《英雄の生涯》についてクラオタ興奮ポイントをピックアップしながら、曲への理解と愛を深めていきます!

解説にあたって

この解説は、スコア(総譜)を読みながら読むことをおすすめします。  
下におすすめのスコアを3つ記載しておきます。無料で手に入るものもあるのでぜひお手元にスコアを用意して解説を読んでくださいね!

音楽之友社版                           
オイレンブルク版ポケットスコアを定本に指揮者用スコアも参照して作成されたオリジナル版。東京藝術大学教授 小鍛冶邦隆氏の曲解説付き。付録に初稿版の終結部のスコアが付いているのもクラオタ的にはプラスポイント!小節番号もあるので解説を読むにあたっては一番おすすめです。



オイレンブルク(全音楽譜出版社)版                
初版Leuckart社(ロイカルト社)のリプリント版。音楽学者 リヒャルト・シュペヒト氏の解説が読めます。邦訳の解説が読めるので全音楽譜出版社が出している日本版(オイレンブルクライセンス版)がおすすめです。小節番号なし。

ドーヴァー版                         
IMSLPで無料で手に入ります!初版Leuckart社(ロイカルト社)のリプリント版。ちょこちょこ誤植があります。小節番号なし。

ちなみに作曲家別名曲解説ライブラリー9 R.シュトラウスには、ユニヴァーサル社からも刊行されていたような記述がありますが、現在はユニヴァーサル社の指揮者スコア・ポケットスコアともに出版はないようです。

さて、スコアがお手元に準備できたら解説を始めていきましょう。        
《英雄の生涯》クラオタ的解説第1回ではこの作品の予備知識を解説していきます。

第1回 《英雄の生涯》予備知識編

1-1. 基本情報

                            
原題: EIN HELDENLEBEN Tondichrung für großes Orchester Op.40
   大オーケストラのための交響詩《英雄の生涯》
作曲: 1897年~1898年
初演: 1899年3月3日 作曲者の指揮にて
献呈: 指揮者ウィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に献呈。
初版: 1899年 F.E.C. Leuckart 社(ロイカルト社)
日本初演: 1960年6月13日 日比谷公会堂
ウィルヘルム・シュヒター指揮 NHK 交響楽団第416回定期演奏会
編成:
ピッコロ. フルート3. オーボエ3, イングリッシュホルン(4番奏者持ち替え)
クラリネット(B管)2, Esクラリネット, バスクラリネット, ファゴット3, コントラファゴット, ホルン8, トランペット5(Es管2, B管3), トロンボーン3, テノールチューバ, バスチューバ, ティンパニ, スネア, バスドラム, テノールドラム, タムタム, シンバル, トライアングル, ハープ2, 弦5部(16-16-12-12-8)

解説書・スコアでは編成表にトライアングルがないものが多数ありますが、楽譜上はちゃんとあります。(740小節目、練習番号89の4小節目に一発)また、テノールチューバについては現在は通常ユーフォニアムかバリトンチューバが使用されますが、シュトラウス自身は当初ワーグナーチューバ(B管)をイメージしていたようです。後年シュトラウスが「バリトンの方が効果がある」と著書で語ったことから、現在の形に定着したと思われます 。 ウィーンフィル×マゼールの交響詩《ドン・キホーテ》、ウィーンフィル×ベームの交響詩《英雄の生涯》等の録音ではワーグナーチューバが使用された演奏を聴くことができます。作曲者であり指揮者でもあったシュトラウスはよくオーケストラの練習場を訪れては奏者の練習を観察して楽器や奏法の研究をしていました。当初はワーグナーチューバでイメージしていたものの、後になってイメージが変わったのかも知れませんね。そんな楽器・奏法の研究に余念がなかったシュトラウスはベルリオーズ著『管弦楽法』に1905年当時の最新楽器事情やシュトラウスの作曲語法を大幅に加筆した増補版を作っています。このシュトラウス増補版『管弦楽法』は邦訳版が音楽之友社から刊行されていますので興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか。

1-2. 『英雄』の調性

《英雄の生涯》はEsdur(変ホ長調, E♭Major)を主調として書かれています。この曲はなぜEsdurなのか?について考えていきましょう。

Esdurはベートーヴェンの交響曲《英雄》(エロイカ)・ピアノ協奏曲第5番《皇帝》以降『英雄』を表す調とされてきました。シュトラウスは《英雄の生涯》を書くにあたりベートーヴェンのエロイカ交響曲を明らかに意識していて、友人に宛てた手紙で「最近ベートーヴェンの《英雄》(エロイカ)は指揮者に人気がなく、稀にしか演奏されない。そこで今《英雄》(エロイカ)の代わりとなる《英雄の生涯》という交響詩を作曲している。葬送行進曲は無いが、やはりEsdurでたくさんのホルンを使っているよ。ホルンは英雄らしさを演出する楽器だからね。」と冗談を交えて書いています。ちなみに《英雄の生涯》第6部「英雄の引退と完成」ではエロイカからの音型が引用されています。(860小節目, 練習番号102の3小節目バスクラ、ファゴット、ヴィオラ、チェロ)エロイカからの引用についてはシュトラウスの自作曲からの引用と合わせて第2回 楽曲分析編で詳細を解説したいと思います。

以上からシュトラウスが《英雄の生涯》にEsdurを選んだのは、彼の英雄像(ヒロイズム)をこの作品で描きたかったからだと思われます。

1-3. 『英雄』は誰か? 

                                                                                                    《英雄の生涯》は「リヒャルト・シュトラウスの自画像・自叙伝だ」と当時批判を受け、現在も《英雄の生涯》=自画像・自叙伝とする説が定着しています。この理由として次の理由が考えられます。(1)シュトラウスが「なぜ自分自身に関する交響曲を書いていけないのか分からない」と語っている。
(2)第3部『英雄の伴侶』について、シュトラウスが「私が書こうとしたのは妻だ」と言い、“伴侶”のSolo Vnが彼の妻パウリーネの性格・気性を表しているいるように思われる。
(3)第5部『英雄の業績』で自作の交響詩・歌曲・オペラからの引用が散りばめられていることから英雄の業績=シュトラウスの作品と連想させる。
(4)シュトラウスの交響詩シリーズ最後の曲である。
曲を聴く上では、『英雄』=シュトラウス, 『伴侶』=妻パウリーネ, 『敵』=批評家, 『業績』=シュトラウスの作品と捉えた方が理解しやすいのでこの捉え方が定着したのでしょう。

僕の個人的考えですが、《英雄の生涯》を単純にシュトラウスの自画像・自叙伝とする見方は少し曲理解の本質からずれるように思います。
その理由は次になります。
(1)《英雄の生涯》は英雄の死までを描いている。この曲はシュトラウス35歳の作品で、これから“オペラの時代”に入って85歳まで生きるわけです。第5部までノンフィクション自叙伝を貫いたのに第6部から急にフィクションの世界になるのがどうしても腑に落ちない。
(2)シュトラウスは第2部『英雄の敵』の“敵”について家族宛ての手紙で「批評家達が“敵”を自分達のことだと思い込み、それに対する“英雄”をシュトラウスのことにしてしまった」と言っている。
(3)シュトラウスは「自画像的な部分はごく一部に過ぎない」とも言っている。
(4)原題の“EIN“は不定冠詞“ある”と訳せるので、EIN HELDENLEBEN は《ある英雄の生涯》となる。

もちろん、『英雄』には一部シュトラウス自身が投影されていることは確かですが、あくまで「シュトラウスは『英雄』の“モデル”に過ぎない」程度に捉えておくのが良いと思います。

《英雄の生涯》は《ドン・キホーテ》と同時期に作曲されており、シュトラウスは「この2つの詩曲はほとんど一組の曲のように着想した。《英雄の生涯》と《ドン・キホーテ》は直接的に全く対をなすもので、特に《ドン・キホーテ》は《英雄の生涯》と並べて初めて完璧に理解できる。」と言っています。この発言を踏まえて、《英雄の生涯》・『英雄』とは何なのかを解釈すべきでしょう。シュトラウスは作曲家としての自分を“芸術家”よりも“職人”として考えていた節があったようです。そんな“作曲の職人”シュトラウスは自らの自己顕示欲のために単なる自画像・自叙伝として《英雄の生涯》を書いたのではなく、自身の交響詩シリーズの最後を飾る作品として、「自身の英雄像(ヒロイズム)」を描こうとこの曲を書き、その英雄像(ヒロイズム)とは一体何なのか?を解釈する方が曲理解の本質に近いのではないかと僕は考えています。クラオタ的にはその方が夢が広がるというのもありますが(笑)

このあたりの「シュトラウスが《英雄の生涯》で描こうとした英雄像(ヒロイズム)とは何だったのか?」については第2回 楽曲分析編後の第3回 《英雄の生涯》が描きたかったことで解説をしたいと思っています。

さて、少々小難しい話が続いたので、ここからは少し気楽に《英雄の生涯》や当時の雑知識をご紹介していきましょう。

1-4. 現行版と初稿版

                         
現在一般的に演奏されている現行版は、曲の最後に金管群の和音で盛り上がって終わる改訂稿になります。当初はSolo VnとHrで静かに曲を閉じる初稿版でしたが、友人フリードリヒ・レッシュなる人物や父フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスの助言に従って現行版に改訂されました。シュトラウスは現行版の終結部を聴いて「まるで国葬だな(笑)」と失笑したとか(笑)サヴァリッシュやファビオ・ルイージは初稿版の録音を残しています。最近では日本でも2017年に読響×ファビオ・ルイージで初稿版の演奏がされていますね。

1-5. 時代の旗手 シュトラウスへの弟子入り志願

シュトラウスがベルリン王立オペラ座の総監督であった頃、後に日本のオケ黎明期を支えることになるとある日本人作曲家がベルリンの王立アカデミー高等音楽院の作曲科に留学していました。山田耕筰です。「夕焼け、小焼けの、赤とんぼ」でお馴染み、童謡《赤とんぼ》の作曲者と言えばピンとくるでしょうか。当時山田は作曲・指揮で活躍するシュトラウスを生で目にしていて、楽劇《サロメ》などは初演を聴いたとか。そんな時代の旗手 シュトラウスから当時最先端の音楽を学びたいと感じたのは自然の流れだったのか、山田はシュトラウスに弟子入りを志願します。シュトラウスも日本人から弟子入り志願されるのは初めてで興味をもったようですが、結局レッスンついて“週2回のレッスンで1回200マルクの謝礼”のという高額な条件を出されて、山田は弟子入りを断念しました。

弟子入りは断念したものの、山田はシュトラウスに影響を受け続けていたようです。交響詩《暗い扉》《曼陀羅の華》の作曲にあたっては、「闇と死」の詩想が共通していたことから交響詩《死と変容》が大いに参考にされました。実際に小型スコア(オイレンブルク版)を購入し研究されたようで、《暗い扉》は《死と変容》スコア読譜後に、3管編成から4管編成に変更され低音の音響的な増幅が図られています。

それでは今回のまとめに行きましょう。

まとめ

第1回 予備知識編はいかがだったでしょうか?
今回《英雄の生涯》はリヒャルト・シュトラウスの単なる自画像・自叙伝ではなく交響詩シリーズ最後の作品としてシュトラウス自身の英雄像(ヒロイズム)を描こうとしたというのが僕の解釈です。皆様はどのように考えられますか?今一度曲について妄想を膨らませるのも楽しいかもしれませんよ!皆様の《英雄の生涯》への理解と愛を深める手助けとなれば嬉しいです。

では、第2回 楽曲分析分析編でお会いしましょう。
次回はがっつりスコアを使います。

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