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「とはいえ…」のその先へ

シェアリング・ラーニング共同代表のおっちゅママです。
コロナ禍ですっかりnoteの更新が途切れていましたが、活動を止めていたわけではありません(;'∀')
手探りで、悩みながらも、粛々と続けています。

「映画『夢見る小学校』から学ぶ対話の会」(以下、「対話の会」)を開催しました。

【感謝!満員御礼「夢見るオトナじゃいられない?~映画『夢見る小学校』から学ぶ対話の会」~ | Facebook

約60名の参加者は現役教員や保護者、そして映画の撮影場所となった「きのくに子どもの村学園」卒業生やその保護者などがちょうど同じぐらいというベストバランスにも恵まれ、最大6名×10個の少人数ブレイクアウトルームでの対話の後、全体でシェアする形で行いました。

映画そのものや開催趣旨については既にイベントページにて説明済なので、参加者アンケート結果を中心に、「対話の会」から学んだことや感じたことを記録に残し、次につなげるために整理しておきたいと思います。

1.対話のテーマ セッション①&②

メインとなったブレイクアウトルーム10個での対話セッション!!
初対面の方々とのオンライン対話がなるべく対面に近い深い対話になるように、最大6名までの少人数ルームとなりましたが、同じ映画を題材としていたことや盛り上げ人たちの活躍もあり、おおむね好評だったようです。
主催者側の参加者振分けが予想以上に時間がかかることが今後の課題ではありますが、そこは知恵を絞っていきたいと思います。
各ルームごとの詳細は参加者アンケートに反映されているようなのでここでは各セッションごとの設定テーマのみ記録しておきます↓↓↓

2.「対話の会」参加者の声(アンケート結果)

「対話の会の感想や特に印象に残ったこと、考えた事などをお聞かせください」という質問に、たくさんの方が回答をくださいました。
少し長くなりますが、「公開してもよい」という分のみ以下に転記させて頂きます。

◎対話の時間が多くありさらに実際こどもの村小中学校の保護者の方とブレイクアウトルームで話せたことがとてもよかったです。

◎地方の方で映画をまだ見てない方もいらっしゃり、ネタバレしないかな?とかおもいましたが、感想を伝えました。
小グループ制だったので二度のトークタイムも話が盛り上がり、あっという間でした。いろいろな立場の方が参加されていてとても刺激を受け元気をもらいました。

◎教育改革に関心を持つさまざまな人と知り合えたことが良かったです。
交流をもっとしたかったです。

◎実際にお子様を通わせている保護者の方や、学校の中を変えたいと奮闘している現役の公立小の先生など様々なバックグラウンドをお持ちの方と学校教育の光の部分と影の部分を深く話すことができました。この映画はこれからの教育をより良くするための布石となり、「語り合いたい」と思わせてくれるので、この対話の会をいろいろなところで、いろいろな視点からみたいと思いました。

◎親の価値観を変えるためにプライベートでできることの一つとして、子どもの幸せを重視する取り組みで子どもがいきいきとする姿をみせ、そうした取り組みの意義に説得力をもたせる。
教育現場は保護者の声を気にかけるところ、保護者サイドから、学校が従来と違った取り組みをできる追い風となるべく意見を伝える。

◎耳だけ参加のつもりだったので、グループでの対話がはじまり焦りましたが、結果色々な立場からのお話が聴けてとても参考になりました。
ありがとうございました

◎保育士の方の声で、教育の話では蚊帳の外になってしまうというような発言に、心が痛みました。その時期に、大人への信頼感や人間関係を肌で感じると思います。
また、今の教育の閉塞感は、大人が作り出しているものなので、一番近い保護者の意識や考え方を柔軟にもつ必要があると、強く思いました。

◎大人側の問題でもあると思った。大人自身が満たされていない。大人が子どもを信頼し自由にするには、まずその大人自身が、周りから信頼され自由に生きていないと難しいのではないか。上司から「責任は持つから、君は自由にしなさい」と任されたらいい仕事をするのではないか?先生に対しては、上司だけでなく保護者からも。子どもはやがて社会に出るのだから、すべての大人が価値観を問い直した方がいいと思った。こういうイベントやこの映画に関心のない大人こそ。どうしたらいいのかなぁ。気づいた大人からそうしていく。広げていく。かなぁ。

◎参考動画は経産省の人が進行していたし、この映画は文科省のお墨付きなのだから、経産省と文科省と総理大臣や政治家、沢山の人に観てもらいたい。そしていろんな学校を増やす仕組み、選択できる仕組み作りにとりかかってほしい。子育て中の人だけでなく、社会で働く沢山の大人たちに観てもらって、価値観を問い直してもらいたい。そのために私は身の回りの人にこの映画をおすすめします。

◎きのくにに通うお子さんが、自分は高速道路に乗せてもらったようなものだ、と言っていたのが印象的でした。私も自由を求めて、大学は、和光大学という自由を掲げている大学を選びました。それまでも小中高と公立学校に通いながら窮屈さを感じていたわけではありません。でも、人生のどこかでは、できたら良い経験なんだろうなと、大学生の頃を振り返ります。学生時代、大したことはしませんでしたが、自由な時間がたくさんありました。
だから、きのくにに入学できたお子さんは、小さなうちに、そういう貴重な経験ができるという意味かなと思い、それがお子さん自身から出てくる、素晴らしいなと、印象的でした。

◎公立学校も変えていける、と信じています。私は、制度や教育委員会を大きく動かすには時間もかかるし、大変だと思っていて、でも、日々の自分の関わり方の積み重ねで、変わるものあると思っていて、大人が対話する練習を積むべきだと感じています。先生や友達の親御さんと、話す、関わる、練習大事ですよね!諦めずに頑張ろうって思っています。とても楽しかったです!ありがとうございました!

◎オオタ監督の木のくにの素晴らしさを伝える映画ではなく、いろんな疑問が俎上になることが大切というニュアンスのことを話されたこと

◎かつやま子どもの村に通っていた現大学生が、「ここは誰にでも合うとは思えない。卒業して受験したいときに、教科の積み重ねがない」と言い、一浪して大学に行った苦労を伝えたこと。けれど、最後に「学校が合うとか、合わないとかがわからない。自由だからどんな子どもでも居られる。こうあるべきがないことが良い。ただ、好きなことがない子は悩むかもしれない」と発言したこと。
このことは、実は、今の受験制度に問題があって、レールから外れると苦労が多いことを物語っています。大人の社会の作り方、受験制度の在り方が、「自分を恃む力を育み、自分で生きていくことを得る広い意味でも学習ができる世の中になっていない」ことが問題であって、きのくに子どもの村で人として大事なことを得た人たちが生きやすい社会をつくっていくことが、みんなの幸せなのだと思う。
大人からは、対話を重ねることでコミュニケーションの質を上げていくことであり、ゼロからルールなどをつくっていくことは、トラブルが起こることを前提に「どうしよう」を一緒に考えていくことであり、それは「大人が腹をくくることである」。しかしながら、公立の学校にはその時間を捻出することが難しいとは、大日向小学校の教員の方の発言。上から変えることがいちばんの近道かもしれないが、現場の年配の人では難しい(教員の友人多数いて強く思う)ため、少しずつ、足元からできることをしています。少しずつね。近所のおばちゃんは、見守ってるよ。文化芸術をツールにして。

◎夢みる小学校を観て、いいなぁ~という憧れや、こういう大切なことは、なぜすぐに広まらないんだろう?と疑問に思っていました。でも、憧れだけではなく、行動に移したい!でも、どうしたら?と、思っていたので、今回の対話の会は私にとって、モヤモヤが解消された時間でした。
「気をつけ、前ならえ」「授業は、座って聞くのが当たり前」など。当たり前だと思っていたことが沢山ありますが、やっぱりモヤモヤ。なんだか違う!!わかっているのに実際に現場ではできない悔しさなどがありました。グループに分かれて話が出来たことで、自分の想いを整理できたり、自分のやっていることは間違えではなかった!と、確認が出来たり、「大丈夫!」と励ましてもらえたことが本当に嬉しかったです。住んでいる場所や職業は違っても、一つの映画をキーワードに話せたことは、私にとって活力になりました。少しずつの行動がいつか、大きなものになりますよね!また、グループのみなさんとお会いしたいです!ありがとうございました。

3.全体シェアと「対話の会」から感じたこと、学んだこと

映画を観て「なんだかモヤモヤした」ことがこの「対話の会」を企画した理由でしたが、アンケートの熱い回答がすべてを物語っていると思いました。

こんな活動をしている私でも、いざ自分の子どもの大学受験では
「少しでも偏差値や卒業後の就職率の高い大学へ」という古い価値観から自由になれずにいたこと。
でもそれはきっと、子どもの幸せを願うからこその親心であって、決して悪い事ではないはず。

でも、それじゃ、子どもの幸せって何だろう?
親ができる事ってなんだろう?
いい大学やいい会社へ行ける最短レールを敷くことではないはず。

正解のないこれからの時代を幸せに生きていゆくには、自ら考え、自らの力で自らの人生を切り拓いていけるように見守ることだと改めて考えさせられました。

そしてもうひとつ、とても大事な気づきがありました。それは、どんなに傍からみると素晴らしい学校でも、いざ中に入ってみるとどこもそれなりに問題もあって大変だということ。
隣の芝生は青く見えるし、幸せの蒼い鳥は案外近くにあるのかも知れないということ。
要は自分自身が主体となって創り出そうという気持ちがあれば、今いる場所が自分にとっての夢見る学校になれるんだということを学びました。

4.「とはいえ…」のその先へ

そうはいっても、結局、今のこの社会で力を持っている大人たちは古い価値観の中での「勝者」たちばかり。そんな中で私たちに何ができるのだろう。

現時点での私見ですが、同じ土俵に上がるのではなく、新たな価値観を創造し生きようとする若者たちを温かく見守りその背中を押すこと、ではないでしょうか。

親ならまずは自分の子を、教員なら自分のクラスや学校の子を、地域の大人なら地域の子どもたちのありのままを受け止めその背中をそっと押す。
ひとりひとりが今いる場所で、半径5メートルの身近なところから行動していくしかないのだと思います。

ということで、まずは私自身が大学進学後早々と進路変更した息子を受容しその背中を押すことからはじめようと思います。
彼の人生は彼自身のもので、たとえ親でも代わりに生きることは出来ないのですから。

そして私は地域の大人のひとりとして、このような対話の場を、ぜひまた続けていきたいと思います。
ひとりひとりは微力でも決して無力ではないと信じて、「とはいえ…」のその先へ向かって。
ご参加くださったみなさま、貴重な学びの時をありがとうございました。
よろしければ、またぜひご一緒に(^^♪


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