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脳タイプによって聖書の捉え方が違う!苦しんでいたことから解放されてイエス様に従っていきます。

今日の聖書箇所

リビングバイブル訳

Scripture:

ルカの福音書 9章23~26節(2017新改訳聖書)

イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。
だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます。


Observation:

今日は「自分を捨て」ということにヒットしました。

義タイプの私が読むと0か100なので、ちょっとでも捨ててないとできてないとなります。自分を振り返ると、従ってきただろうかと思うのです。100でないからダメだとなるのです。命を失っていないからダメだ!そんな感じに読んでしますのです。


改めて、誠タイプに向けて書かれていることを覚えながら、神様の完璧な姿を投影する誠タイプのタスクとして、「自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」はい従います。となるだろうし、従っていると断言するだろう!


だから次の問いが出てくるのです。従っているなら、それ自分のためなら意味ないよ。私のために命を失う者は、それを救うのです。命を捨てられるほどに従いますか?と問われているのです。


また、全世界を手にしも、自分自身を失うなら益はないと語られるのです。そして、イエス様のことを恥じるなら、その人を恥じると語られているのです。本音と建前を使い分けることが多い誠タイプの特徴として記されていると思われるのです。


最終的にはタイプには関係なく、イエス様に従っていくことを選択していきましょう。


Application:

いつもこの箇所を読むとできていない自分が責められていました。100%それができていないからです。ただ大切なことは、イエス様に従っていくことが大切です。なぜなら、そこにいのちがあり、どんな富よりも大切なことであり、恥じることのないお方であるからです。

今日も自分を顧みて歩んでいきます。


祈りましょう(Prayer):

天のお父様、あなたの尊い御名を賛美します。今日の御言葉を感謝します。タイプから捉え直しながら、自分を責めることなく、自分の目で改めてあなたの言葉に触れることができて感謝します。どうぞ、あなたに愛されていることが価値ある生き方であることを覚えて、これからも歩み続けることができるように導いてください。今日もシェアリングチャーチ、カフルイユニオンチャーチ、Tree Home churchに教会に属している一人ひとりを祝福してくださることを感謝します。病んでいる一人ひとりを癒してください。日本と世界の政治を祝福してください。終末の時代の中、あなたの愛が輝き、多くの人たちがあなたを信じることができるように助けてください。

今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!

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