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神を信じない祭司長・律法学者が陥るワナ!それは権威にしがみつく?私は大丈夫?

今日の聖書箇所

リビングバイブル訳

Scripture:

ルカの福音書 20章1~8節(2017新改訳聖書)

ある日、イエスが宮で人々を教え、福音を宣べ伝えておられると、祭司長たちと律法学者たちが長老たちと一緒にやって来て、
イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしているのか、あなたにその権威を授けたのはだれなのか、教えてくれませんか。」
イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それに答えなさい。
ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。」
すると、彼らは論じ合った。「もし天からと言えば、どうしてヨハネを信じなかったのかと言うだろう。
だが、もし人からと言えば、民はみな私たちを石で打ち殺すだろう。ヨハネは預言者だと確信しているのだから。」
そこで、「どこから来たのか知りません」と答えた。
するとイエスは彼らに言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」


Observation:

祭司長たちと律法学者は今でいうダボス会議に出るエリートの人たちです。それも祭司という神様に仕える人たちですし、聖書に書かれていることを教える律法学者の話です。

イエス様に何の権威によって、これらのことをしているのですか?と問うのです。

誠タイプのルカにとって、権威は大切なことです。そしてそれを明確にする必要があるのです。

権威がなければ語ってはいけないとでもいうのか。そんな勢いの中、イエス様は語られるのです。

自分のことではなく、バプテスマのヨハネのことです。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。」

この質問で、祭司長たちと律法学者たちはたじろぐのです。

天から来たといえばなぜ信じなかったのかと言われ、人からといえばt

預言者だと信じている群衆から石打ちになるからです。

そこで彼らは知りませんというのです。

その答えでイエス様も何の権威で行っているかを話さないのです。

祭司長たちと律法学者たちは、神に仕えるのに神を信じていないのです。自分たちの立場や権威にしがみついているのです。神様を恐れるのではなく、人々を恐れているのです。

今この時代の為政者たちも、もしかすると牧師たちも同じことになっているのではないか?

また自分自身もよく振り返ってみよう!


Application:

私も何か特別な権威があるわけではないです。しかし、私は神様からの召命によって、愛のリーダーを育てるために、一般の人たちの中に導かれています。今までも人の顔色を窺って歩んできましたが、そこから、牧師であり人材育成をしている人として認知されてきました。

これからも神様の権威によって愛のリーダーたちを育てていこう!


祈りましょう(Prayer):

天のお父様、あなたの尊い御名を賛美します。今日もみことばをありがとうございます。あなたが共にいてくださること、あなたの救いの恵みの中に生きていることが幸いなことです。そしてあなたの権威によって福音を語ることが許され、罪を赦す権威が与えられていることに感謝いたします。今日の研修も祝福してください。今日のシェアリングチャーチ、カフルイユニオンチャーチ、Tree Home churchに教会に属している一人ひとりを祝福してくださることを感謝します。病んでいる一人ひとりを癒してください。日本と世界の政治を祝福してください。終末の時代の中、あなたの愛が輝き、多くの人たちがあなたを信じることができるように助けてください。

今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!

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