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神様の言葉って力があって、心の思いや謀を見分けることができるって、丸裸になるね。

今日の聖書箇所

リビングバイブル訳

Scripture:

ヘブル人への手紙 4章12~13節(新改訳聖書2017)

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。

Observation

今日は知り合いの方の言葉に引っかかってしまいました。「神学」です。「神学する者とは誰か。信仰者のすべてが神を信じると共に,神を知り,その御業を聞いて理解し,神の名を讃美している。それはすでに神学することにあずかっていると言ってよい。」何に引っかかったというと、神学という学問の世界に生きているように感じたからです。実践していく、信仰者としての歩みを感じないのです。キリストの贖いのゆえに罪赦されたという恵みに生かされているように感じないのです。

神学は学問であって信仰ではないのです。信じなくても学問として追求することができるのです。

聖書の言葉=神の言葉は「生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」という生きている中での罪との葛藤も全て神様の方へと導く、力強さがあること、自分の理性を超えて働かられる神の力強さがあるのです。

だからこそ、神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。

先日の牧師であり政治家である方が支援者には同性愛は罪だといい、LGBTの法案には賛成したのは、神学としてはわかっていても信仰者として神のいける言葉を無視しているのです。言い訳をしているだけであって、悔い改めようとしないのです。

その謀ごとも全て神様はご存じであり、神様の前にどのように申し開きをするのかが問われるのです。


Application

自分自身も罪人の頭であり、人のことをとやかく言えるようなものではありません。しかし、この時私の心をご覧になる神様の前でどのように生きるかが大切です。神学という人のための学問ではなく、稚拙であろうと神様の恵みに生きることが重要だと思うのです。

だからこそ、

①デボーションを行うことで、御言葉が私の心を刺し通して、神の前に信仰者と歩んでいこう!
②神様の愛を語る機会を多く持っていこう!
③チームメンバーのために祈り、祝福していこう!


祈りましょう(Prayer):

天の父なる神様
あなたの御名を賛美します。

あなたの言葉は生きていることを改めて教えてくださってありがとうございます。神学という学問の世界に信仰者を結びつけようとすることではなく、神学から解き放たれ、あなたとの関係を力強く証していくことができるように助けてください。あなたは変わらずに私たちを愛し、恵みにの中に導いてくださることを感謝します。あなたの言葉に従っていくことができるように助けてください。シェアリングチャーチ、ホームチャーチに属している一人ひとりを祝福してくださることを感謝します。日本と世界の政治を祝福してください。あなたを否定している政治家たちのために祈ります。悪魔崇拝者として日本を破滅に追い込もうとしている岸田首相、国会議員を祝福してください。私たちができること、すなわちあなたの御国がきますようにと祈り続けることができるように助けてください。病んでいる一人ひとりを祝福してください。

今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!

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