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【新】ちんたら村との新しいプロジェクト「再野生化の魔法」が始まります。

ちんたら村という千葉県房総半島の内陸に位置する山と川に囲まれた限界集落のフィールドをそれぞれの視点で捉え、思考を進め、企画を進める二人が何やら不思議なことを言い出しました。

再野生化と再魔術化、そして科学や現代人がそれらを探究し交差する先に未来がある。 そんなワクワクが止まらなくなっている二人の対談。

刺さる人には刺さる「再野生化の魔法」というパワーワード。この旗に集まる個性豊かな探究者の方々とこれから面白い営みを生み出していく予定です。その前段のライブ配信を是非ご覧ください。

この記事は、2023年9月5日(火)に開催されたオンラインでのトークイベント「再野生化の魔法」のダイジェスト版です。

トークしているのは「ちんたら村」村長の山本和志(やまもと・かずし)さんと「ラーニングビレッジ」代表の澤正輝(さわ・まさき)の2人。2023年は春と夏に2泊3日の企画をちんたら村で主催し、秋以降の企画を検討していく中で出てきたキーワードが「再野生化」でした。

ヨーロッパやアメリカを中心に広まりつつある言葉で、2人は「実は違和感がある」と口をそろえつつ、その可能性を探ろうとしています。

新たな探究をはじめようとしている2人のトークをどうぞお楽しみください!

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澤(以下、澤さん)
:今回のトークイベントのタイトルは「再野生化の魔法」。「魔法」という言葉もあえて使ってみましたが、今日はどんな時間にしたいですか?

山本(以下、かずしさん):これから探究していきたいことを2人でやりとりしていたときに思いついたのがこの「再野生化の魔法」でした。ぼくも澤さんもはっきり分かっているわけではないのですが、しばらく推してみようと思っています。やっぱりよく分からないなぁとなるかもですが、それもおもしろがりながらトークしていきたいです。

:「再野生化」については?

山本:実は「再野生化」という言葉を知ったときに違和感を感じたんです。これって、人間が壊したものを野生に戻すというニュアンスがあると思いますが、あくまで人間の側から見たものですよね。

いま、ぼくが住んでいる集落の自然環境について調べてるんですが、遡ると、縄文時代よりさらに前の先土器時代からすでにあったみたいなんです。

集落の外から訪れた人の中には「怖い」と感じる方もいらっしゃいました。

:怖い?

山本:トルコで暮らしていた方を案内したときに、そのような感想をもらいました。山や森、川への感覚は国によっても異なると思いますが、先土器時代からこの自然環境を人はたくさん使ってきた。近代には植林や茅場、特に炭焼きをしていたときは、山に木はほとんど生えてなかったと言われています。でも、いまは木がたくさん生えている。

この土地では、もう何万年も人と自然はともにあった。そう考えると、野生であったときはなかったことになるが、それもまた違う気もしている。

:確かにね。ヨーロッパやアメリカを中心に始まった「再野生化」の一般的なニュアンスからすれば、そのプロセスに人間が関与することはあっても、最終的に人間と切り離し、自然に委ねていくことが目指されている。いわば自然の人間からの解放。

でも、ぼくもかずしさんもそこに違和感を感じている。

山本:日本人は「野生」というのを、ちょっと違うものとして捉えているところがありますよね。グラデーションがある気もしています。

例えば炭でお茶を沸かすことや竹串で魚を焼くことって、日本では文化的なこととして捉えられていますよね。日本やアジアの人たちが考える「野生」というものも、地球にとって大事な切り口になるんじゃないかと思っています。

囲炉裏でのご飯

:「再野生化」という言葉は使うけれど、「野生」の意味範囲にグラデーションがある以上、その解釈も柔軟にやっていく。

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山本:ぼくはもともと保育の人間なんです。その視点でいえば、外遊びをせずに育ってきた子どもたちに土、水、火、風、光といった刺激を身体で感じながら、外遊びの楽しみに気づいてもらうことも「再野生化」の活動に加えていきたい。

:子どもだけじゃないよね。かずしさんの暮らしている集落に春、夏と季節ごとに訪れているけど、二回とも近くの川に入ることから始めました。川を歩きながら、その土地と出会い、自分の状態を確かめる。ちょっとした儀式でもあり、野生への入り口に立っている感じもある。

山本:実はもともとそのように使われてきたわけではなかったんですよね。ちんたら村の活動としては今ではルーティン化されつつあるけど、集落の長い歴史からすれば、ひょっとしたら新しい動きなのかもしれない。

別の話もしていいですか?

:もちろん。

山本:最近、アマゾンに残っているある儀式の話を聞いたんです。部族の名前は忘れてしまったんですが、その部族の人たちは、毎朝3時に、大きな器に入ったお茶を、溺れるぐらいがぶ飲みするそうなんです。その目的は吐くこと。嘔吐することなんです。

:おぉ。

山本:がーっと飲み、がーっと吐く。そこからお祈りをはじめるそうなんですね。話し合いをするときも同じような儀式をするらしいです。きっと嘔吐することで、雑念も一緒に消えるんでしょうね。リセットされるというか。吐くことで切り替えられるものがあるような気がします。

:実はこの夏に滝行を体験したんです。プチ滝行といったぐらいの小さな体験だけど、同じような機能を感じました。滝に打たれてるときは他のことを考えたり、感じたりするのは難しいから、気づけば雑念がなくなっている。すーっとクリアになった感じがしました。

滝行から一日がはじまるのと、さっきかずしさんが話してくれた儀式は、同じような効果があるような気がします。昨日のことに引きずられずに今日をはじめられる。これもまた野生の知恵だとぼくは思います。

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山本:すごいですよね。ぼくが住んでいる集落でも、歴史を遡ればずーっとやってきたけど、ここ50年くらいで途切れてしまった文化があったりするんです。それを復活させ、体験してみたい。

:例えばどんなものがあるの?

山本:例えば雨乞いの文化。高宕山(たかごやま)という山の頂上に鉄釜が置いてあるんです。そこにはいつも水がたまっていて、干ばつのときには、そこの水をすくい、田んぼに流すと、雨が降ったという伝承が残っています。

雨乞い伝説の羽釜

:ちなみにそれはなんで途切れてしまったの?

山本:ダムがきっかけだったと聞いています。ダムって水を貯めちゃうので、水が死んじゃうって地元の人は言うんですよね。

:水が死ぬ?

山本:山に雨が降り、川に流れ、海に行くというものを、ダムが一度、堰き止めてしまう。栄養素の流れも変わってしまうので、生態系に与えた影響も小さくないと思います。

:確かに、まさに鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」と書いているように、水は本来ずーっと動きつづけているもんね。動きを止めてしまうと、濁ったり、腐ったりしてしまう。

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山本
:集落のこれからを考えたときに、守るものは守りつつ、一方で人の手から離れるものも出てくると思います。そのときにどうなっていくか。例えば人口としては減っていくけど、川遊びをする人は増えるかもしれない。それはそれで楽しみなんです。

これまで出会った人や、この「再野生化の魔法」プロジェクトをきっかけに新たに出会う人たちと一緒に、わくわくしながらやっていきたいですね。

:どんどんやっていきたいね。

山本:やってみるって大事だと思うんです。

:やってみると言えば、高宕山の岩穴で寝泊まりしてみたいんです。今年の春に初めて訪れたときに、そうせずにはいられない何かを感じてしまったんですよね。

山本:魔法にかかってますね笑。実はあの周辺は「縄文海進」の前から人が住んでいたと言われているんです。それもあるのかも。

:もともとは予定になく、たまたま早朝に登ることになり、たまたま見つけた岩穴だったけど、いまでは心を奪われてしまっている。不思議だよね。

今年は春、夏と季節ごとに企画を一緒にしてきたけど、秋はやっぱりここに行こうと思います。

山本:一緒に探究していきたいですね。興味をもった人がいれば、ぜひぼくか澤さんに連絡していただけたらと思います。今日はありがとうございました!

:ありがとうございました!あぁ、今日も楽しかった!

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ここまで読んでいただきありがとうございました!探究ははじまったばかり。ピンときたら、ぜひ一座に加わってもらえたら嬉しいです!

動画もご覧になりたい方はこちらからご視聴ください。それでは第二回もお楽しみに!


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