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【シェア街住民インタビュー】人と人、組織と組織をつなぐ「コラボレーター」 板谷侑香里さんの仕事とは?

今回は、シェア街の関係住民で、普段は「コラボレーター」としてお仕事をされている板谷侑香里(いたや・ゆかり)さんにお話を伺いました。「コラボレーターって何?」「その活動をはじめたキッカケは?」など聞いてみました!

私だからこそできる「人と人とを繋ぐ仕事」


現在の仕事や活動について教えてください。

私は現在、「コラボレーター」として仕事をしています。

「コラボレーター」は私がつくった言葉で、新規事業を起こす際に企業同士をつないだり、企業と学校、企業とフリーランスとをつないだりしながら、未来に新しい価値を作っていく仕事です。

たとえば、障害がある人とそれに理解がある企業とのマッチングをしたり、ロケットを作る際に、企業と企業をつないだりしたこともあります。

企業や個人の困りごとや課題を解決していくために、いろんな人と人、組織と組織をつなぐことが私の仕事です。


なぜ、コラボレーターという肩書きで活動を始めるようになったのですか?

私の人生を振り返ってみると、ひたすら人と人をつなげて何かをする、ということをやっていたな、と気が付きました。

小学生の頃、お小遣いを親からもらえなかったときに、ある友達から「りぼん」というマンガ雑誌を借りて、別の子からは「なかよし」というマンガ雑誌を借りて、その友達同士をつなげるなどすることで、自分も友達もみんなで「りぼん」も「なかよし」も、そして「ちゃお」も読める、ということをしていました。

社会人になるに当たって「何をしよう?」と考えた時に、「幅広い経験を持った人たちと接点を持っている」ということが、私の強みだと思いました。

小学校の友達の中には、障害があるなど生きづらさを感じている人がいました。一方、私が通った私立の中学、高校では、後に医者や弁護士、経営者になった人もいます。大学卒業後、企業で働いている友人もいます。同じ時代、同じ日本で働いているけれど、いろんな生き方があり、それぞれと私は接点を持っている。世の中には生きづらさを感じている人がたくさんいますが、それぞれの人たちをつないだら、いろんな未来が見えると思ったんです。
だから、コラボレーターの仕事をしています。

人と人、組織と組織とを繋ぐことで、1+1を2以上、3以上にしているんですね。大学では心理学を専攻していたとのことですが、何かキッカケがあったんですか?

幼稚園の時から、「何かを叶えるには、今の自分のままでは超えられない」と思っていました。
小学校は公立の小学校に通っていて、すごく楽しかったのですが、「環境を変えないといけないのではないか」と私立中学に進むことを思い立ちました。

私自身、発達障害のグレーゾーンなのですが、気の合う友達にも発達障害やグレーゾーンの人がいて、その中には生きづらさを感じて、いわゆる「社会のレール」から外れてしまう人もいました。

そんな友人たちの受け皿になったり、視野を広げるキッカケをつくったりと、何か役に立ちたくて、心理学を学びたいと決めました。

新しい環境を自分から掴みに行きたい


幼少期のご経験も、今の活動に繋がっていらっしゃるんですね。

そうですね。

進学後、高校の先輩とは「放送部」という新しい環境をつくりました。当時の先輩とは今もお付き合いがありますね。

大学は自分の第1志望ではなかったのですが、そこが良かったと思いたい、その選択を正解にしたい、と思い、学業も他の活動も頑張りました。
心理学を学びながら、アナウンス研究会、茶道、テニスと3つの部活を掛け持ちしていました。結果として、部費や資格取得、合宿の費用等を含めて年間何十万円もかかったのですが、ディズニーランドで働いたり、アルバイトとしてテレビ局でフリーランスで働いたりしてお金を稼ぎました。その名残で、現在もテレビの仕事に関わっています。

大学卒業後にメガバンクに入社されたそうですが、どのような背景があったのですか?

もともと、「誰でも行けるカウンセリングルームを作りたい」と考えていました。

でも、大学院にいって臨床心理士になるか、就職するか迷っていた時に、結果が出るように人の成長を後押しする「コーチング」という活動の方が向いていそうだと感じたんです。

そこで、大学院に進む代わりのような形で卒業の2、3年後に起業することを見据えました。母も銀行員をしていたので「親もできるんだったら、自分でもできるかな(笑)」と思ったこともあって、銀行に就職することを決めました。
それで、会社に勤めながらコーチングを学び、26歳で独立します。

後編に続く>

編集:早川英明
執筆:かねこりな
写真:提供写真







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