僕は売れたかったのかもしれない
3月のコルクラボ合宿で山田ズーニーさんのワークショップを受けた。
そこで知った言葉が「根本思想」という言葉だ。
簡単に言えば、
・自分の心の奥底にある思いは何ですか?
・徹底的に素直になりましょう
ということだ。
それから、今まで自分のnoteに書いてきた言葉が薄く見えて仕方がない。
「成功よりも幸せに興味がある」
これは一体誰の言葉だろうか。
◇◇◇
僕は昔から自分に自信がなかった。
「誰かに必要とされたい」
自分の居場所をずっと追い求めてきた。
一方で、自分への期待も捨てきれない。
「僕はやればできる子」
そう自分にいいきかせてきた。
過去の成功体験が強ければ強いほど、人は”普通”の自分を受け入れることはできない。
自分の有限性を認めるとはよく言ったもんだ。
自分より成功している人を見れば、その人のあらを探す。
「あの人は○○はできているけど、△△の部分は微妙だからね」
そこから僕は強烈な嫉妬にかられる。
なんで、あの人が僕より世の中から必要とされるんだ。
承認欲求の危うさについて、他人には饒舌に語るくせに、自分が一番承認欲求の塊だ。
◇◇◇
数年前に、ある人に
「やりたいことなんてなくてもいい。やりたいことがなければ、やりたいことがある人をサポートすればいい。人を支えることも誰にでもできることじゃない。それができているあなたは凄い」
という優しい言葉をもらった。
この言葉にどれだけ救われただろうか。
☑ 人を支えることは楽しい
☑ 人が喜ぶ姿を見るのが自分の幸せ
☑ 人が変わる瞬間を見ることはたのしい
「自分はやりたいことがないから誰かのために・・・・」
そう結論づけることは簡単だ。
ただ、自分と向き合うことから逃げている感じもする。
”人を支える楽しさ”という優しい言葉に甘えているのではないか。
自分の中でひっかりがとれない
「支える」って何だろう。
◇◇◇
僕は人を支えるという点では自信がある。
実際これまでにも、No2やプロマネの立ち回りをすることが多かった。
支えることは楽しいし、自分に向いていると思う。
でも、
「死ぬ三日前まで人を支えたいですか?」
と問われると、恐らく僕は首をかしげる。
自分の中で、支えるの答えが出ない。
◇◇◇
色々な経験を経て、今思うことは
リーダーを支えることのみに依存することは真の支えには繋がらない
ということだ。
「支えること」が自分の全てになってしまうと、リーダーに完璧を求めてしまう。
もっとこうしてほしい。もっと解って欲しい
自分が描いた完璧なリーダー像が自分と相手の首をしめる。
これは完全に僕のエゴだ。
本当の支えはとは、リーダーの欠損部分も愛し、保管できる関係だと思う。
そのためには、支えることに依存するのではなくて、自分自身が自立することが必要だ。
だからこそ、本当の支えには「攻めと守り」の両輪が必要なんだと思う。
◇◇◇
「成功よりも幸せに興味がある」
この言葉に救われてきた。今でもそうだと思う。
でも、「幸せ」という言葉で全てふたをしてしまうのは違う気がする。
これは一度成功を経験した人が使う言葉だ。
僕はそこそこお金が欲しいし、そこそこ有名になりたいし、そこそこいい暮らしがしたい。
それには、それなりの成功が必要なんだと思う。
この気持ちを無視して、自分を幸せに興味があるというのはうそつきだ。
嘘をついたままの言葉では誰にも届かない。
成功に振り切った時にできない自分に気づくのが怖いだけだ。
自分が自分に一番期待しているから。
◇◇◇
長い内省の期間を経て、次は僕はアウトプットに拘ってみようと思う。
一度、成功とはなんだろういうことに、向き合ってみようと思う。
☑ 自分のお腹にある気持ちはなんだろうか。
☑ 自分が守りたい世界は何だろうか。
☑ 自分が届けたい相手は誰だろうか
自分が守りたい世界には、そこそこのお金と地位がいる。
その答えはアウトプットの先にある気がする。
今の僕は少しオラついてる。
本当に誰かを支えたいと思うなら、自分自身がもっと攻めてみないとわからない。
それが今の結論だ。
もう少し走ってみた後に、「幸せとはなんだろうか」について考えてみたい。
潔く生きよう。
(おわり)
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