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Dr.本田徹のひとりごと(60)2016.1.28

怪物は自分の心に棲んでいる -年のはじめに「開発教育」をめぐって考える-


1.はじめに

 2016年の年頭にあたり、シェアを支援してくださっている多くの方がたに心より感謝申し上げます。シェアだけではありませんが、NGOを取り巻く環境が厳しさを増す中、いかにして、市民社会組織としての自立性や財政基盤を確保し、困難な状況に置かれた少数者の権利や暮らしを応援できるような働きをしていくか。志を失わず、今後とも「熟慮ある楽天性」をもって、がんばっていきたいと存じます。どうかよろしくご協力、ご参加のほどお願い申し上げます。

2.開発教育のこと

シェアが東ティモール、タイ、カンボジアなどの途上国で長年行ってきた保健教育(健康教育)の仕事は、国内では、「開発教育」という名で呼ばれる理論や実践の体系と地続きの関係となっています。日本における開発教育の牽引者として長年すぐれた活動を継続してきたNPO法人・開発教育協会のホームページでは、開発教育を以下のように定義づけ、説明しています。

「開発教育は英語のDevelopment Educationを日本語に直訳した言葉です。
開発教育は、1960年代に南の開発途上国でのボランティア活動に出かけていた欧米の青年たちによって始められました。最初は、開発途上国への支援を促すための教育という色彩の強いものでしたが、その後、南北問題や貧困、環境破壊といった問題が、先に工業化した国々との関係の中で構造的に起こることを理解し、それらの問題の解決に向けて、一人ひとりが参加し、行動していこうとする教育活動に変化していきました。

私たちは、これまで経済を優先とした開発をすすめてきた結果、貧富の格差や環境の破壊など、さまざまな問題を引き起こしてきました。これらの問題にとりくむことが、私たちみんなの大きな課題となっています。

開発教育は、私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動です。」

シェア創設の1983-85年ころ、開発教育やプライマリ・ヘルス・ケアについて、理論的なことも含め、最もお世話になった方のお一人に故・室靖先生(東和大学教授)がいらっしゃいました。室さん(親しみを込めてこう呼ばせていただきます)に関しては以前、この「ひとりごと」で書いたことがありますので、興味のある方はお読みになってください。

「Dr.本田徹のひとりごと(17) (2006年12月4日)
開発教育ってなんだろう?
  ― 室靖先生追想を軸に」

開発教育62号(2015年12月) 表紙

3.稲場雅紀論文の秀抜さ

私自身開発教育協会のささやかな一会員として、機関誌「開発教育」をずっと購読してきたのですが、2015年12月発行の第62号には、注目すべき2つの記事(一つは本格的な論文、一つはインタビュー)が掲載され、引き込まれるように読みました。
一つは、NPO法人・アフリカ日本協議会の稲場雅紀さんが執筆した「現代国際社会の写し鏡としての『イスラミック・ステイト(IS)』-『ミレニアム開発目標(MDGs)』14年目に登場した『怪物』に市民社会はどう応えるか」。もう一つは、「九月、東京の路上で - 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響」(ころから刊)の著者・加藤直樹さんへの、「開発教育」編集責任者の斎藤聖さんと西あいさんによるインタビュー記事です。

井上ひさしの有名なことばに、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」というのがありますが、開発教育も保健教育も、どちらかというと、「参加型」を大切にするあまり、利害の対立する厳しい問題を取り上げ、深く分析するといったことを避けてきたきらいがあります。

ところが、この号の稲場雅紀さんのIS(イスラム国)をめぐる本格的な論文は、ある意味で度肝を抜かれるような性質のものでした。やさしさ、分かりやすさをないがしろにするわけではないが、問題の厳しさと解決困難性、そして市民社会やNGOの限界や力不足を率直・冷静に分析し、提示することに彼の力点が置かれているように感じたのです。
 
稲場論文を読んで、私は、著者のイスラム教の教義に関する、また現代イスラム世界における社会的・宗教的・地政学的・軍事的対立に関する理解や造詣に、端倪(たんげい)すべからざるものを感じ、その勉強家ぶりに、脱帽のほかありませんでした。チュニジアに2年暮らし、その後パレスチナの問題にすこし関わってきただけの、いわば半可通の私などとは格段に違うレベルのイスラム通に彼がなったのは、かつて難民申請をした同性愛者のイラン人の在留訴訟を支援したことがきっかけだったと言います。

今回は彼のイスラム世界に対する通暁ぶりを紹介するのが目的ではなく、むしろ次のような引用文に示さる、彼の真率さと自己分析力の確かさを、皆さんにお伝えしたかったためです。

「市民社会は、MDGsにおいて、えてして『国際社会』の内部に身を置き、『救う者』と『救われる者』との主客関係の強化と『救われる者』として人々の疎外を強化する役割を期せずして果たしてきた。SDGs(持続可能な開発目標)の時代に私たちは同じ関係を続けるわけにはいかない。疎外する側として特権の飴をなめるのでなく、『救う者』『救われる者』の二項対立を解消し、疎外から新たな包摂への道を開くことが、SDGs時代の市民社会にとって最も重要なことである。それこそが、ISの排他主義と残虐性と対決し、これを克服する道となるはずである。」

MDGs運動の日本におけるもっとも精力的な紹介者・推進者の一人だった稲場さんが、この15年間の自分たちの努力とその成果に対して、ある意味で醒(さ)めた、失望を伴った気持ちさえ抱いていることは正直驚きでした。しかし、これはMDGsやSDGsといった言葉のファッションに踊らされている私たちに痛棒を加える文章とも言えます。彼の言う、NGOを含めての「市民社会」全体に対して、大きな反省を迫る発言であり、戦略を立て直すべき課題なのだと認識させられました。結局、文化的相対主義と<いのち>の普遍的価値を原理に進めてきた、西欧先進国中心のMDGsや開発の理念が、イスラムの若者たちの心に充分深く垂鉛をおろすことができず、共感を呼ばなかった事実に、私たちNGOの人間も率直に向き合わざるを得なくなったと、稲場さんは言っているのです。 

「九月、東京の路上で」表紙

4.関東大震災時の朝鮮人虐殺を我が姿として見る

「開発教育」62号でもう一つ私が注目したのは、「九月、東京の路上で」の著者・加藤直樹さんへのインタビュー記事でした。この本は、1923年の関東大震災の直後、被災地の各所で起きた朝鮮人に対する数多くの殺傷事件を詳細に記録したものですが、今日のヘイトスピーチや外国人差別につながり、戦前・戦後を通じて日本社会または日本人に通底してきた問題と思われる節があります。

「1923年9月3日月曜日午前 上野公園
流されやすい人

私がちょうど公園の出口の広場に出たときであった。群衆は棒切れなどを振りかざして、ケンカでもあるかのような塩梅(あんばい)である。得物を持たぬ人は道端の棒切を振り回している。近づいて見ると、ひとりの肥えた浴衣を着た男を大勢の人が殺せ、と言ってなぐっているのであった。
群衆の口から朝鮮人だと云う声が聞えた。巡査に渡さずになぐり殺してしまえ、という激昂した声も聞こえた。肥えた男は泣きながら何か言っている。棒は彼の頭と言わず顔といわず当たるのであった。・・・・(中略)・・・巡査に引き渡さずなぐり殺してしまえという声はこの際痛快な響きを与えた。私も握り太のステッキで一ッ喰はしてやろうと思って駆け寄っていった。」 
証言者・ 染川 藍泉(当時・十五銀行庶務課長)

上に掲げたのは、本書に採録されたたくさんの目撃または当事者証言の貴重な記録のほんの1例ですが、普段善良な「汝臣民」(昭和天皇の終戦の詔のことば)であった、銀行員・染川氏のような日本人の心にさえ棲(す)んでいた、「怪物」の存在への自覚を迫るものと言えます。

5.むすびとして - カリギュラと現代を生きる私たち

「善のなかできみは純粋だ、おれが悪のなかで純粋なように」 
    戯曲「カリギュラ」(アルベール・カミユ ・岩切正一郎訳)

「無私の悪」を積極的に武器として使用し、どんな残虐行為も躊躇(ちゅうちょ)しなかった人に、古代ローマ帝国の第三代皇帝カリギュラがいます。カミュの優れた不条理劇の主人公、カリギュラ自身の言葉を、この「ひとりごと」の最後に置いて、私は現代における「カリギュラ的なもの」を、いかに自分たちの心に見出し、乗り越えていくべきかを考えたいと思います。

カリギュラは、悪を純粋に無私の行為として冒すことにより、それが正当化されること、また悪の残虐さ・理不尽さが非道なものであればあるほど、死すべき人間が神を乗り越え、神に挑戦することができる存在になると信じたようです。
カリギュラと、関東大震災後の灰燼(かいじん)のなかで朝鮮人殺害に走ってしまった私たちの父祖の日本人たちと、ISの戦士たちとを、同じコンテキスト(文脈)の中で論じるのは危険なことです。

ただ、私たち人間のうちには「怪物」が棲んでいること、その怪物を喜ばせるために私たちがときに悪に対する見境がつかなくなること、また自身の帰依する絶対的存在が、目的の達成のためには悪を正当化するというトラップ(罠)に、私たちを陥らせることがあることを、人間性の真実として、自覚しておくことが必要なのでしょう。この冷静で、謙虚な自覚に立って、開発や民主主義という理念の再検証を行い、途上国の人びとや、圧迫され、分極化させられ、難民化している何百万人ものイスラム教徒の心に真に届く、国際協力を目指すことが、私たちに要請されているのだと思います。

2016年1月26日

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