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Dr.本田徹のひとりごと(68)2016.12.2

タイのプライマリ・ヘルス・ケアからの学び直しの旅 ー目からウロコのHSFによるバディ・ホームケアの試み


HSRのマスコット、水牛の親子「パン・モー」

1.水牛の親子(パン・モー)に託すHSFの願いと行動

2012年にシェア・タイから独立しタイの財団となったHealth and SHARE Foundation (HSF)は、ちょうどシェアが「うさぎ」のシェーちゃんアーちゃんをマスコットとしているように、水牛の親子、あだなは「パン・モー」をマスコットにしています。この親子がまた、シェーちゃん、アーちゃんに負けないくらいかわいいのです。なぜバッファローをマスコットにしたかというと、代表のチェリーさん(看護師)の説明によるとこうです。「パン・モー(Pun Moo)は東北タイ(イサーン)の言葉で、パンが分かち合うこと、モーは友だちという意味です。パン・モーはだから「シェア・ウイズ・フレンズ」ということになります。水牛は、働き者で、正直であり、あくまで平和の志をもって歩み続ける、素晴らしいスピリットの持主です。ちょうどHSFが目指している理想と価値観を、パン・モー親子は体現してくれているのです。」

この11月に私は1週間ほど、東北タイとバンコックを旅しました。HSFのスタッフにぴったり同行して活動現場を見学し、ロイ・クラトーン祭り(精霊流し)の、68年ぶりという名月をモン河の川岸で眺め、HSFの理事さんたちと意見交換を行い、確かに彼らは地に足の着いた、すばらしい「パン・モー」として働いているな、と改めて深い感銘を受けました。

シェア・タイのエイズ教育 子供たちのサマーキャンプ2002年

2.20年以上にわたる地域でのHIV活動を通して培った参加型教育(PRA)

HSFの中核を担っている、チェリーさん、ノイさん、トムさんらは、皆、工藤芙美子さんが、1994年に東北タイのウボン県とアムナッチャラン県でHIV・エイズの予防・啓発活動を開始してから以降、シェア・タイのスタッフになった人たちです。一方、彼らの活動対象・パートナーだった方がたは、普通の村人であり、HIV陽性者であり、患者さんであり、障害をもった子どもであり、ラオスから移住してきたセックスワークを生業とする女性とその家族であり、MSM(=Men who have Sex with Menの略。男性と性行為をする男性)であり、また地域のさまざまな機関(病院、保健所、行政)の職員であったりしました。これらのカラフルな人たちとともに、差別のない暮らしを創り、共存していき、困っている人や仲間を助けるために、HSFのスタッフは、コミュニケーションやファシリテーションの技を磨くことを、工藤さんをはじめいろいろな専門家(タイ人、日本人)から学んできました。その有力なツールが、PRA(参加型農村調査法:Participatory Rural Appraisal)という手法でした。

理論としては、英国サセックス大学のロバート・チェンバースという先生たちのグループが、長年の途上国での実践を通して創り出してきたものと言われていますが、工藤さんは必ずしも初めから、PRAを意識して使ったというよりも、村で保健ボランティアと対話したり、デビッド・ワーナーの「医者のいないところで」(Where There Is No Doctor)といった本を参照・活用する中で、自然にPRAを身につけていったようです。チェリーさんらHSFの活動者は、工藤さんやシェアの日本人たちと働いた20年にわたる修練と経験の中で、少しずつ、自らの技と心を磨き、東北タイ式のPRAを創りあげ、いまそれがよく花開いてきたのだということを、ワークショップなどの見学を通して私は感じ取ることができました。

バディ(VHVと子どものペア)で楽しいゲームに興じる:ケマラート市内郡保健所で

3.高齢社会へのタイの取り組みとFCT(ファミリー・ケア・チーム)そしてバディ・ホームケア(Buddy Homecare)

タイでは、いま、日本に迫るようなスピードで高齢社会への歩みが始まっています。これは、第二次大戦後アジアでもっとも早くから家族計画に成功した国であったという、タイ国の輝かしいコインの裏面という性格を持っています。いずれにしても、高齢とともに、さまざまな慢性疾患や認知症を発症した方がたを、地域で支え、人としての尊厳をもった暮らしを、最後まで続けていただく、という取り組みがとても重要になってきています。

そこで生かされているのが、タイ独自に発達してきた、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)の仕組みです。とくに郡病院から、タンボン(Sub-district)にあるヘルス・センター(現在は、Community Supporting Hospitalという呼称に変わってきているようですが)、村の保健ボランティア(VHVs)に至る、地域のリソース(資源)を十全に活用するという考え方と政策です。2015年から本格的に全国で始まったFCT(Family Care Team)では、保健ボランティアのうち選ばれた人たちを、村のケアギバー(介護者)として養成し、ヘルス・センターの看護師らとチームで地域の高齢者宅を回り、必要なケアを在宅で提供していくという体制を組むようになっています。こうしたFCTがタイ全土で1万5000組以上、すでに活躍していると聞きます。また去年くらいから、Primary Health Clusterという、FCTなどの活動を支える診療拠点が都市部を中心に展開するようになり、ウボン市でもそうしたクラスターの一つを見学することができました。

私が今回の滞在中とくに瞠目したのは、ケマラートの市部でHSFが保健所と協力して始めた、バディ・ホームケアのトレーニングでした。これはVHVと10-15歳の子どもが2人一組のペアを組んで、高齢者宅や支援を必要とする障害者宅などを回り、ケアを提供するという試みで、まだ始まったばかりとは言え、非常に独創性の高い、有望な取り組みという印象を受けました。この子どもたち自身、経済的に困窮していたり、ラオスからの移民の家庭など、恵まれない環境で育った子が多く、自尊心や将来への目的意識を培っていくことがむずかしくなっている場合も多いと言います。そうした子が、保健ボランティアのおじさん、おばさんと一緒に家庭を訪問する中で、生きがいや勉学への意欲を取り戻してくれるようになり、またVHVにとってもモチベーションを高めるきっかけになることが期待されます。高齢者自身にとっても、子どもが家に来て話し相手になってくれることは、とても嬉しいことでしょう。

こうしたFCTやBuddy Homecareのタイならではの独自性は、日本のように、高齢者ケア、障害者ケア、小児ケアなど、地域の端々まで、縦割りが貫かれ、「水平の連携」を欠いたシステムに対して、大きな示唆を与えてくれるものと思われます。

最近、慶應義塾大学・看護医療学部/大学院健康マネジメント研究科教授の小池智子さんから教えていただいた言葉に、’Reverse Innovation’という概念があります。つまり、途上国「発」で、先進国にとっても大きな学びとなるような技術・考え方で、普通は先進国から途上国の向きにしか起こらないと私たちが思い込んでいるイノベーションが、「逆向き」に起きることが大いにあり得ることを教えてくれています。バディ・ホームケアは、ある意味で、長年、HIV孤児や村の障害児や保健ボランティアと接し、協働してきたHSFのスタッフだからこそ、考えついたり、取り組もうと思ったスキームで、これもリバース・イノベーションの一つとして、日本の私たちが、謙虚に学んでいかねばならないことなのでしょう。

バディ・ホームケア・トレーニングで見事なファシリテーションをするHSFのPoo Payさん (シェアのT-shirtと着た人)11月17日

4.マヒドン大学訪問とHSFの今後 - デビッド・ワーナーをイサーンに招きたい(Buddy Homecare)

旅の締めくくりに11月17日、私はチェリーさん、ノイさんと一緒に、バンコック市内のマヒドン大学公衆衛生学部(Faculty of Public Health, Mahidol University)を訪問しました。HSF理事長で、長年の友人でもあり、今年ウボン県保健局長の要職に就いたDr. Jinn Choopanyaが、HSFスタッフとの同行訪問を強く勧めてくださったこともあり、私たち二人が異なる時期にAIHDで勉強したときお世話になり、今はFacultyの先生をされているDr. Nawarat Suwannapongの親切な仲介もあり、この訪問が実現しました。

当日は、副学部長のKwanjai Amnatsatsue先生はじめ、様々な先生方、日本人やパキスタン人の留学生も参加され、2時間以上に及ぶ、有意義で楽しい意見交換となりました。HSFにとっても、ケマラートという国境の町での多文化共生を目指す、東北タイのユニークな財団の活動をアピールする良い機会となったことでしょう。

この席で、デビッド・ワーナーさんを、HSFとシェアの有志で、来年5月ころ、ケマラート病院に日本大使館の資金援助で建設されるHIV陽性者やLGBTの人たちのためのセンターの落成式の機会にお招きし、現地で講演やワークショップを開く計画のあることをお話しました。Kwanjai先生たち大学側は、強い関心をもたれ、ぜひFacultyでそのころ開かれるInternational Forumでもデビッドさんに講演していただきたいという要請をされました。高齢で病気回復後のデビッドさんにあまり負担はかけたくないですが、今後慎重に準備を進め、計画を実現したいと願っています。

空港に向かう前に、私たちは、元シェアタイ代表で、今もHSFの素晴らしいアドバイザーとして、様々な支援をしてくださっている岩城岳央(たけひろ)さんとタイ人の奥様にも再会し、旧交を温めました。
 
今後につながるさまざまな出会いと学びをさせていただいた、今回の旅行でした。
以下、HSFのホームページのご案内です。まだまだ財政的には厳しい状況が続く、生まれて間もない若いNPOですので、日本の皆さんからの支援をぜひよろしくお願いしたいと思います。

下記、HSFのホームページを訪ねてみてください。
http://healthandshare.org/en/

Kwanjai先生、Facultyのスタッフ、留学生、Cherry、Noiらとの集合写真

2016年12月2日


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