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Dr.本田徹のひとりごと(55)2015.3.19

Still Lifeってなんだろう? -映画「おみおくりの作法」からしきりに考えたこと

 このごろ観た劇場映画やDVDで、一番鼻汁入りの泪をたくさん分泌させられた(失礼!)のは、なんと言ってもUberto Pasolini監督の「おみおくりの作法」(原題・Still Life)でした。

 ロンドン市ケニントン地区の民生係ジョン・メイ(エディ・マーサン演じる)の、キャリアとしても彼自身の人生という意味でも「最後の」お見送りの仕事となったのが、ビリー・ストークという、1982年のフォークランド戦争従軍兵士で、アルコール中毒を病み、ホームレス生活を経て、アパートで孤独死した初老男性でした。この話を軸に、丁寧で、静謐感あふれるカメラワークでジョンの姿を捉えていくのが、ウベルト・パゾリーニ監督です。(同じイタリア人ではあるが、「奇跡の丘」の名匠、ピエル・パオロ・パゾリーニとは直接関係ない人のようです)
 
邦訳のタイトル「おみおくりの作法」は、映画の内容には忠実だと思うのですが、なぜ監督が原題をStill Life(静物)としたのかについて、考えておく必要があるのでしょう。
Still Lifeが象徴するものの一つは、死者が愛惜とともに自宅に残した形見、ビリーの場合は間違いなく、アルバムに貼られた愛娘ケリーの写真でありました。汚れ切ったアパートの自室で、誰ひとりに看取られることもなく、ウイスキーの瓶に囲まれて死んでいった彼が、最期まで枕元から離さなかったのが、娘の写真だったようなのです。

実は、ジョン自身、最近上司から一方的に解雇を言い渡され、ビリーのケースが最後の仕事となりました。そのこともあり、彼は、死者の人生の細部に至るまでこだわり、ビリーがかつて働いていたパン工場を訪ね、元同僚からビリーの人となりを確かめ、元恋人だった女性の職場にも押しかけ、さらには、娘ケリーの働く犬のシェルターにまで訪ねていくのです。はじめは、母子を捨てて行った父を怨み、ジョンにも不信感・警戒感を隠さないケリーも、アルバムを渡され、父がどんなに自分を愛していたかを知り、少しずつ、心を開いていくようになります。

妻や子どもたちとの別れの原因は、英国でも日本の場合とそんなに変わりはなく、失業、貧困、アルコール、家庭内暴力など、男たちが悔みながら、ずっと人生で引き摺り続けてきた負い目と言えます。

民生係ジョン・メイは、現代英国の福祉制度にとってはオールドタイマーというべき人物です。丁寧、誠実に仕事はするが、役所的評価としては、一つひとつのケースに時間と手間をかけ過ぎ、効率の上がらない、ダメな役人として描かれます。日本の福祉事務所のケースワーカーと違って、彼にとってクライエントとの付き合いは、その人がこの世を去ってから始まるのです。その人の終わってしまったばかりの人生に、いわばretrospective(遡及=さっきゅう的)に関わり、できるだけ彼・彼女の人生の軌跡をたどり、家族や友人など、かつてはかけがえのない人だった関係者を尋ねあて、葬儀やお見送りに立ち合ってもらうことを仕事の流儀としてきました。

やり方はいつも同じで、孤独死して何日もたったような人について、管理人や警察から連絡を受けるとすぐにアパートを訪ね、遺品のうち、本人の身元を探し、尋ねる上で役立つ、写真とか、文書などの資料をジョンは自身の質素なアパートに持ち帰り(彼自身も独身で、身寄りもない様子です)、その人の人生の再構築を試みます。それは、週刊誌的な興味、あるいは覗き趣味からくるものではなく、その人が遺した痕跡を少しでもたどることで、人生に意味を取り戻し、その死を同胞として悼むというプロセスが、彼の職業倫理として、絶対欠かせないものだったからなのでしょう。それを彼は声高に主張するのではなく、呼吸をしたり、食事を取るのと同じような自然な所作として行っていくのです。

たった一枚の写真はStill Lifeでありながら、限りない想像力を彼の中に掻き立て、行動に駆り立てる。ちょうどセザンヌの静物画の果物が、命を宿し、今にも動きそうな ’Still Life’ であるように。

映画の最後で、亡くなったジョンが葬られた、小さな地面の墓標に、彼の世話になった死者たち-ビリーも含めて-が、次々と集い、ジョンに感謝の祈りを捧げる一場面があります。死者たちによる、ジョンをめぐる対話・追悼集会とも言うべきもので、これはドストエフスキーの「作家の日記」にある、「ボボーク」という短編小説の中で、死者たちが交わす会話を連想させるものでした。

ケース記録の表紙のページに「一件終了」’Case closed′という字を斜めに書いて、書類を閉じるのが常であったジョンを偲ぶ死者たちは、人が人を悼み、感謝し、愛することに、終わりや窮まりがないことを教えてくれているようでした。


2015年3月16日

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