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Dr.本田徹のひとりごと(58)2015.7.9

「日本の禍機」とNGO非戦ネット -福島の生んだ賢人から学ぶ-


「日本の禍機」とNGO非戦ネット

 3年半前から週に1度、福島県いわき市内にある公立病院での外来診療や職員の健康診断のお手伝いにでかけ、往復の列車の中で、福島に関係した本や地元紙を読んだり、執筆をしたりと、割合にまとまった作業をする時間を得ています。

一昨日は、いわきからの帰路、築地本願寺で開かれた「NGO非戦ネット」の発会式に向かっていました。呼びかけ人のひとりとして、もし登壇を求められたら、どんなことをお話しょうかと思いつつ、朝河貫一という、イェール大学教授で卓越した国際法学者・比較法制史家だった福島県人が、明治41年(1908)に日本語で書いた「日本の禍機」という本に読み入っていました。会場でもやはり私は、この旧二本松藩士の息子として生まれ、アメリカで大成した学者から、いまこそ学ぶべきことについて、語らせていただいたのでした。

明治41年というのは、日露戦争の後、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介で結ばれた、ポーツマス条約からわずか3年後のことで、この本はまさに、戦争後の日本国家の道義性を検証し、この国の未来を占うという、大きな志をもって書かれたものです。

私がとくに心を惹かれたのは、冷厳な国際関係に透徹した視線を注ぐ、真の愛国者としての朝河のぶれない姿勢でした。日本帝国が当時、ポーツマス条約の結果ロシアから租借権として引き継いだ、南満州の広大な土地と鉄道権益を、この租借権が終了する1923年に、独立国家清国に潔く引き渡し、日露戦争前に日本が示した「道義国家」としての本来の原理原則を守れるか、ということに、朝河は非常な関心を寄せ、当時の為政者と国民に国策を誤らないよう警鐘を鳴らしたのでした。

「1923年にいたりて清国が何国に対してもこの地の租借を充分に拒みうるほどの実力を有するに至らんことを望まざるものあらざるべし。これに加えて、清国が実力あるとあらざるとに関せず断然この地の再租借を拒絶するにあたりては、世(界)はこぞって清国に同情すべく、今日日本の与国たる英国といえどもまたその頃には同様の態度をとるべきを察せざるを得ず。いわんやその頃は今日よりも遥かに強大なるべき米国においてをや。その時に至りて日本は清国を恐れず世評に関せずというもまた遅かるべし。けだし日本のもっとも恐るべきところは清国にあらず欧米の強国にあらず、実に己れを不正の地に陥(おとしい)れ、清国および欧米をして正義の側に立たしむるにあるなり。真に国を愛するもの誰か日本がかくのとごく正義の賊、進歩平和の破壊者たるの地位に陥るを目撃するに忍びんや。」

しかし、現実の日本帝国は、朝河のもっとも恐れた道を辿ることになったのです。1911年の辛亥革命を経て清は滅亡し、新生の中華民国の主権を同様に日本はないがしろにします。そして、朝河が日本の運命の年と考えた1923年には、南満州の租借権が中華民国に返還されなかっただけではありません。日本にとって、もう一つの歴史的な悲劇、関東大震災が起きます。震災は、大正デモクラシーにとどめを刺し、甘粕正彦大尉のような、大杉栄・伊藤野枝夫妻と甥の3人を虐殺し、のちに満州国を道連れに自殺する、奇怪な犯罪者を生みます。甘粕によって、大震災と満州(満鉄)がつながるということも、歴史の皮肉というか、こわさというべきなのでしょう。関東大震災からの復興への営みが、結果として、海外への膨張主義と国内の民主主義の圧殺をもたらした「帝国」の、悲しむべき末路でした。

このような近代の歴史を振り返ると、どうしても、1923年の関東大震災と2011年の東日本大震災・福島原発事故の惨害が、二重写しになってしまいます。

平成24年7月に出された福島原発事故国会事故調の委員長、黒川清さんは、報告書の序文でこう述べています。

「100 年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、朝河貫一によってなされていた。 朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』 を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に 予測していた。 「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、 どう変わっていくのか。これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、 社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼 を立て直す機会は今しかない。この報告書が、日本のこれからの在り方について私たち自身を検証し、変わり始める第一歩となることを期待している。」

黒川さんの率いた委員会のレポートは、もっとも信頼できる優れたものであったと思いますし、また原発事故についての彼の科学的な危機意識にも深い共感をもちます。

ただ満州国について言えば、朝河は、日本帝国政府が、ロシアとの戦端を開く前に唱えていた、清国の主権尊重と列国の機会均等という二大原則を、戦後自らにも厳しく課しておくべきだった、その意味では「変わってはいけなかった」ところを、戦勝でロシアから転がり込んだ利権に目がくらんで、「変わってしまった」結果、道義性と中華民国や西欧諸国の信頼を失い、世界から孤立していったという持論をもっていました。

安保法制の議論についてはさまざまな意見があります。「NGO非戦ネット」に集う仲間たちの間でも、安全保障観や平和構築のための考え方は一枚岩ではないと思います。確実に言えることは、「積極的平和主義」といったネーミングのたたかいにおいて、私たちは安倍さんのペースに完全に負けているということです。本来は、NGOなど市民社会側が、安倍さんなどに言われる前に、積極的平和主義の中身をきちんと提言し、実行に移しておくべきだったはずなのです。戦後の平和主義運動が、社民党の凋落に示されるように、国民の信頼と支持を保ちえなかったことについて、真剣な内省と立て直しが、いわゆる平和勢力側に必要なのでしょう。

私自身は、非暴力抵抗主義を唱えるのが臆病者の一国平和主義にならないように、外に開かれた理念と、勇気ある行動、責任が求められていることを痛感しています。ソローもガンジーもキング師も、その意味で、大きなヴィジョンとともに肝っ玉を備えた人でした。丸腰での停戦監視活動に日本は積極的に参加すべきだといった、伊勢崎賢治さんのような人の言う意見を充分に傾聴して、今後の活動や進路をともに考えていきたいと願っています。
 
なお、「NGO非戦ネット」の趣意書などについては、事務方を担ってくださっているアーユス仏教国際協力ネットワークの下記URLをご覧ください。
http://ngo-ayus.jp/activity/situation_support/ngonowarnet2015/

2015年7月9日

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