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Dr.本田徹のひとりごと(75)2019.11.22

カンボジア:トンレサップ湖に浮かぶクリニック ― UHC (すべての人が安心してよい医療へアクセスできること)を実現するため、しなやかに奮闘するTLCの医療者たち

TLC(The Lake Clinic – Cambodia)のロゴ

1.Floating World に住む人たちのためのFloating Clinics

  今年2019年6月、カンボジアに数年ぶりで訪問したのは、プレア・ビヒア州でのシェアの母子保健活動を視察し、スタッフや現地の公的機関の保健関係者と話し合うことが主たる目的でした。と、同時に、ぜひ訪れたいと思っていた場所がありました。
それが、’TLC (The Lake Clinic)- Cambodia’ です。   
今日の「ひとりごと」はどちらかと言うと、TLCのお話が中心となります。

 現・シェアカンボジア代表のモーガン・三恵子さんのお連れ合いで、元アンコール小児病院の看護師長だった、 ジョン・モーガン(Jon Morgan)さんと彼の仲間が2007年に開設した TLC - Cambodiaは、世界でも有数の淡水湖トンレサップ湖とその流域の川で暮らす、定住性を持たない、または、定住性に乏しい水上生活者や僻遠の地域の人びとに対する、アウトリーチ的な医療・保健活動を行う、移動クリニック(movable clinic)なのです。

 トンレサップ湖は、アジアの6カ国をめぐる大河メコンとつながっていて、雨期(5-10月)にはメコンの水位が上昇して、トンレサップ湖に向けて注ぎ込み、流域面積  は最大16,000平方キロメートル、深さ10mにも達します。反対に、乾期にはトンレサップからメコンへと流れの向きが変わり、面積は2,700平方キロメートル、深さも0.5mへといちじるしく減少すると言います。こうした自然条件の中で、流域に暮らす百万人ともいう人たちは、主として小規模の漁業や交易に頼った生活を営んでおり、ベトナムなどからの移住民や少数民族の人たちも含みます。近年の地球温暖化やカンボジアでの大規模な森林伐採、そしてメコン河流域で次々と行われているダム建設、架橋工事などが、生態系や湖と河のダイナミックな関係にどのような影響を与えるのか、非常に心配されるところです。

 トンレサップ湖とその周縁に住む人びとは、’subsistence economy’ (ギリギリの自給自足生活)を強いられており、保健や医療のサービスにもなかなかアクセスできないという困難に直面してきました。ジョンさんは、シエムリエップの病院で働く間に、こうした人びとが、救急患者としてアンコール小児病院に運ばれてくると、たびたび助けてあげたりして、 この水上生活の人たちの生活を気遣い、いつか彼らの健康のために働きたいと志すようになりました。 TLCのホームページに掲げられているその、ミッションは、「(医療の)サービスを受けられないでいる人たちに仕える」と明快に謳っています。
“Our Mission: Serve the Underserved”
>>> https://www.lakeclinic.org

 まさにUHCのスピリットそのものですね。

TLCのクリニック所在地とトンレサップ湖周辺地図

2.Floating Clinicを見学する

 6月27日(木)朝早く、シエムリエップ在住のジョンさん、三恵子さんご夫妻と合流、シェアカンボジア事務所のインターン溝口紗季子さんと私の4人で、TLCの運営する5つのクリニックの一つに陸路で向かいました。添付の地図をご覧いただけると分かるように、このクリニック(Kscarshiros Clinic)は、Strung Sen River沿いの農村地帯を遡って上流へ1時間ほど車でいったところにあります。途中、道に迷ったりしましたが、農家の人たちが親切に正しい方角を教えてくれました。

 川のほとりには一隻の船がもやってあり、船全体が一つのコンパクトで機能性の高いクリニックとなっていました。私たちは案内されて乗船すると、すぐに診療活動の見学に入りました。

浮世のクリニック(Floating clinic)とStrung Sen川

TLCの本部はシエムリエップにあり、通常医師1~2名、看護師、助産師、ロジスティクス(物流・後方支援)担当、歯科医師 (いつもではない)、料理人など6名くらいの編成で、常に2チームがローテーションを組んでいます。彼らは、週2泊3日の行程で、5つのクリニックを、湖の水位によって大小3種類の船ないしボートを使い分けて、巡回していると言います。いまやジョンさんは完全に管理とファンドレージング側に回り、自分では診察はしていないとのこと。この日働いていた医師は、スリランカ系イギリス人の医師と、クメール人の女性医師でした。二人とも優秀で、患者さんの訴えにも温かくていねいに耳を傾けていました。

 看護師、助産師らが電子カルテに問診内容を記録し、 検査所見、治療内容、方針などを書き込んでいた。医療のレベル自体も、日本の一般の病院・診療所 にほとんど遜色ありません。しかも、こうした、質の良い医療が、完全に無料で提供され続けているのは、本当に驚きでした。

医療スタッフと小児患者の診察風景

東京山谷の、たぶん日本でただひとつの常設の完全無料診療所山友クリニックも、無料という点、また日替わりの医師や看護師たちがやさしく丁寧に接しているという点では、このTLCに負けない自信がありますが、医療機具や薬剤の種類、検査手段などでは完全に負けていると認めざるをえません。それもそのはずで、東京の下町にある無料診療所は、あくまでゲートキーパー役に徹し、難しい病気の治療などは、ネットワークや福祉事務所などを経由して、きちんとした医療機関に紹介すれば役目は果たせます。しかし、湖上のクリニックでは、ある程度自己完結的な医療を提供することを、求められるのも無理ありません。

 TLCではまた、避妊薬なども、正しい使用法の指導や、適切なBirth Spacing(産間調節)教育を行った上で、処方していました。アウトリーチ的な家庭訪問、とくに移動のむずかしい妊産婦、授乳中の母親と乳児などへの訪問サービスにも心がけていました。

避妊のための薬剤(ピル)と処方記録帳

このクリニックの面目躍如なのは、徹底的にEcologicalな診療活動を貫いていることです。ゴミは出さない、人間の排泄物も直接川には出さず、衛生的な処理をします。
 また三恵子さん自身も開発に関わったという、ポリ塩化ビニール(PVC)を活用した湖や川の水の浄化装置。美味しいとは言えないが、安全な飲料水として使えると言います。
 水上生活者は、新鮮な野菜などを入手しづらい環境にあり、TLCでは、パネルに野菜の種を撒いて船上で栽培する、Floating vegetable gardenなどの面白い試みを成功させ、これを住民にも広めようとしていました。

PVCを利用した簡易浄水製造器

 リフェラル(患者の紹介、転送) の必要となった、重いケースは、ジョンの古巣のアンコール小児病院などに送ることもあるそうです。年間に1万人超の患者さんにこうした、基本的で必須の医療・保健サービスを提供するTLCの活動は、ある意味で、現代の奇跡というべきなのかもしれません。
 さきほども書いたように、ジョンさん自身はいまや、マネジメント側に回り、ご本人が苦手というお金集めに奔走し、会議や現場訪問で活動の現状をしっかり把握し、スタッフにさまざまな助言をしています。主として欧米やカナダの団体が資金面で支えていますが、なかなか運営はたいへんなようでした。 ジョンさん自身も、健康上の問題もあり、そろそろ若い世代に事業を引き継いで、いずれはよりフリーな立場からTLCを見守っていきたいようです。

コンポントムのモーガン夫妻:くつろぎの時にも熱意があふれるジョンさん

3.結びとモーガン夫妻への感謝

 カズオ・イシグロに「浮世の芸術家」(An artist of the floating world)という比較的平易な英語で書かれた小説があります。太平洋戦争前後の長崎を舞台にした、ある画家一家の物語ですが、常に動いてやまない「浮世」(the floating world)の中で、人間の心に生きる不動のものを求める気持ちが静かに表現されています。
 UHCはある意味で、定めない社会や人生の中で、人が病気になったときは、その人や家族の経済状態、民族、宗教、法的な地位に関係なく、破産を心配せずに質のよい医療にだけはかかれるようにしようという、一種の社会契約、流されそうになった船の<もやい>とも言えます。
 トンレサップに浮かぶクリニックを通して、浮世の民にしっかりとした医療を届けたいという、TLCの人たちの志の高さと発想のしなやかさに、私は深い敬意を覚えます。
 90年代はじめから同志として、カンボジアの人びとの健康のために現地に住み着いて働き続けるモーガン夫妻に、心からの感謝とエールを送って、この回の「ひとりごと」を終わります。
 なお、皆さまのシェアへのいつに変わらぬ応援に感謝しつつ、今回は、TLCへのご支援もお願いいたします。(◜‧̮◝ )
>>> https://www.globalgiving.org/projects/floating-healthcare-in-cambodia/

(2019.11.17 翻訳・文責 本田 徹)

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