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Dr.本田徹のひとりごと(番外)2016.9.16

気仙沼・プロジェクトK再訪: 母と子の健康相談会と記録集 「永遠(とわ)に~杉の下の記憶~」 に寄せて  --受け渡されていく<いのち>の尊さ--


9月12日、2年ぶりに気仙沼を訪れ、はしかみ交流広場・プロジェクトKのスタッフ、西城さんや大森さんたちとの再会を喜び合いました。

今回の訪問で、楽しみにしていたことの一つは、気仙沼に住む若いお母さんたちが自主的に、去年から始めた「ママの心と身体の健康サロン」というグループと、プロジェクトKが協力して、階上公民館で9月12日に開くという、母と子の健康相談会を見学させてもらうことでした。当日、気仙沼の幅広い地域から集まってくれた、計12組の母親や子どもたちで、公民館はとてもにぎやかで和やかな雰囲気に包まれました。

健康相談の受付、問診と簡単な検査(血圧、BMI、体脂肪率測定など)の風景

グループのコンセプト

このグループのコンセプトは、「ママと子が気軽に集まり、子は楽しく遊ぶ!
ママは生活に役立ち、また、リフレッシュできる学びを得る!
親子の心と身体の健康を維持することを目的とした気仙沼地域の団体です。」というところにあります。

このママたちが、子育てや介護の大先輩の西城さんや、自身助産師でもあり、子育て真っ最中の大森さんのようなエキスパートから助言をもらいながら、ジョイントでこうした催しを実行するというのは、本当に素晴らしいことだと思いました。

まだ2~3歳の子どもたちが、階上(はしかみ)公民館の2階の畳の広間で元気に声を出し、走り回っているさまを見ていて、私は「アッ、そうだこの子たちは3.11のときはまだ生まれてもいなかったのだ」という当たり前のことに気づかされ、そして目がしらが自然に熱くなるのを感じました。ぜひ、この小さな新しいグループが、さまざまな困難をのりこえ、気仙沼の若い母親たちや子どもたちの交流と連帯の輪を広げ、発展していってほしいと、切に思いました。またプロジェクトKにとっても、母親グループとの連携は、活動の質的な新展開になるのではないでしょうか。

お母さんによるアンパンマンなどの絵本の読み聞かせ

記録集「永遠に~杉の下の記憶」の出版

あの大震災のとき、階上公民館の下の、海よりの「杉の下」の集落では、93名もの方がたが津波に呑まれ、亡くなられたのでした。それらかけがえのない、一人ひとりの方がたを、追憶し、生き残った家族の語りという形で記録し、彼らを偲ぶとともに、二度とこのような悲劇を繰り返すまいと言う祈願から、この記録集「永遠に~杉の下の記憶」は、今年2016年3月に編まれ、出版されたのでした。

記録集「永遠に~杉の下の記憶」の表紙

50人以上の生存者からの聞き書きをほとんど一人でされたのが、小野寺敬子さんで、ご自身お父さまが津波の犠牲になっています。 この聞き書きの凄さと感動の源は、やはり土地のことば、気仙沼方言の生む語りの力強さ、飾り気のなさに、由来するように思いました。波間の向うに永遠に去ってしまった家族に、無限の愛を寄せながら、でも証言者自身の、人としてのユーモアや温かさが自然と出てしまうところに、大きな魅力を私は感じるのでした。

座談会

たとえば、冒頭に収められた座談会の中で、斎藤民子さんは、息子・満(みつる)さんのことを思い出しながらこう語ります。

「うん。神社のお供え餅とりんごでね、みんなでお腹の足しにしたの。別な避難リュックに食べ物や通帳いれてだんだけんと、それは満にもたせでだがら、全部海に持ってがれでしまった。満はあっちで、おやつ食べてこづかいも使ってるかもねえ。」
この母親、民子さんは、どんなに大きな愛情を息子・満に注いでいたことか。だからこそ、息子を喪ったことの悲しみの深さを、こんな風に冗談っぽくでも言ってしまわなければ、自身やりきれないのです。

また腕ききの漁師、小野寺憲夫さんは、いつも一緒に海で漁をしていた、自慢の息子・節夫さんの命を、やはり津波に取られてしまいます。「すこしずつガレキが減っていって、浜がきれいになってきたのを見で・・・『よし!まだ海やっぺ!』って思った。まだ頑張っぺ!って。

今、ワカメもやってるし網もさしてっけんと、いっつも節夫が居だらなぁって思うんだ。一時も頭から離れる事ない。節夫居だらこんな風にやったな、二人でやればこう出来だなって、事ある限り考えでんだ。海さ出で、何回も名前呼ぶんだ。」

こういう、一人ひとりの切々たる話を読んでいると私は、スベトラーナ・アレクシエ-ビッチの「チェルノブイリの祈り―未来の物語」(岩波現代文庫)から受けた、鮮烈な感動を思い出してしまいます。傾聴という点では、小野寺敬子さんの能力の高さにはスベトラーナさんに並ぶものを感じるとともに、やはり小野寺さん自身が被災し、親族を亡くされ、悲劇の細部と杉の下の住民と家族の関係をことごとく知り尽くしていらしたことが、この記録集に高い資料的価値をもたらしたのだと思いました。

なお、この記録集はまだ少し残部があるようですので、本誌1200円と送料で、プロジェクトKに申し込むと入手できるかもしれません。もちろんプロジェクトKそのものを、以下のURLより、ぜひお応援していただきたいです。
http://seikatsushien-k.jimdo.com/

最後に・・・

私が気仙沼にお邪魔するたびに再会を楽しみにしている、川柳作家で漁師の鈴木日出男さんのことに触れます。鈴木さんも去年だったかに、仮設住宅を出て、次男さんご家族と一緒に復興住宅に入居されました。句作と水彩画描きと湯治とワカメづくりやアワビ漁りにマイペースでいそしまれる日出男さんは、2年前よりつやつやして元気を増したような印象で、とても安心しました。膝がだいぶ変形して、ときどき針やマッサージも受けておられるようです。
 
いただいた自選最新句集「日出男の寝言語り-その後」から私をうならせた何句かを引きます。
・年始客と見れば離れぬ三才児
・オール電化スイッチ怖くて触れない
・ベランダが姥捨て山になる時代
・ボケモンならここに居ります捜さずも

一句目はお年玉をゲットしようと待ち構える三歳へのユーモラスな観察。二句目は、復興住宅の便利とハイテクが過ぎて年寄りにはなんとも扱いかねている自己への揶揄。三句目は、昨年かに介護施設で起きた、職員によるベランダからの高齢者投げ落とし殺人事件のブラックユーモア。四句目は言わずとしれたポケモンブームを「ボケモン」たる自身の目で茶化した秀句。

いやはや鈴木さん、脱帽でした。どうかお元気で、ますます健筆をふるってください。

自作の句集を前に語り尽きない日出男さん

2016年9月15日


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