マハーバーラタ/4-8.女王の兄キーチャカ

4-8.女王の兄キーチャカ

ドラウパディーはヴィラータの女王スデーシュナーから愛されていた。パーンダヴァ兄弟の妻の付き人であったと伝えてあったので、まるでドラウパディー自身が女王であるかのように扱われ、アジニャータヴァーサ(隠れて住む期間)の10ヶ月を過ごした。

スデーシュナーにはキーチャカという名の兄がいた。彼は妹がヴィラータに嫁いだことで、マツヤ王国の軍の司令官を任されていた。

五兄弟がヴィラータの元へやってきた時、キーチャカはちょうど遠征に出かけていたが、この時、都に凱旋してきた。

皆からの歓迎を受け終わり、キーチャカはお気に入りの妹スデーシュナーの元へやってきた。妹と共にしばらく過ごし、帰ろうとしたその時であった。
スデーシュナーの庭には春が訪れていて、とても魅力的な場所に見えた。キーチャカはしばらくその美しい庭を眺めた。

するとキーチャカの鼻に、何かの花の香りが届いた。その香りに誘われ、庭の奥へ進んでいった。
その先には、まるで辺りを輝かせるかのような美しさの女性がいた。
その女性はサイランドリー(ドラウパディー)だった。
魅力や気品、優雅さを持つ女性はこれまでにもたくさん出会ったことがあったが、彼女の持つ美しさはそれをはるかに超え、一瞬にしてキーチャカを虜にしてしまった。

ドラウパディーは時々一人になる為に、その庭にやってきていた。女王スデーシュナーの許可も得ていた。
キーチャカが凱旋してくるという知らせは、夫達がラージャスーヤを終えて凱旋してきた時のことをドラウパディーに思い出させ、こっそり涙を拭う為に女王の庭に来て花園に癒してもらっていた。

ドラウパディーは自分が一人ではないことに気づいた。何者かの視線を感じた。振り返ると自分に熱視線を向けているクシャットリヤの男性が立っていた。彼女は心の中で考えた。
「(誰? 女王の庭に入ってくる男性なんて誰? もしかしたらスデーシュナー様の兄キーチャカ様かしら? いけない。私のことを詮索されてはいけない。逃げなくては!)」
ドラウパディーはその場から逃げた。

しかしキーチャカは彼女を追いかけ、すぐに捕まえた。
「あなたは一体? 私は妹の宮殿によく来ますが、あなたと会ったのは初めてです。こんな美しい女性は見たことがありません。なぜ私は今まであなたに会えなかったのでしょう? あなたは誰ですか? なぜ一人でここにいるのですか? あなたはこんな場所で無駄な時間を過ごしているべき人ではありませんよ」

ドラウパディーは目を合わせようとしなかった。ただただ地面を見た。
「私の名前はサイランドリー、花飾りの職人で、あなたの妹の召使いです。数ヶ月前からここにいます。
では失礼します」

キーチャカはサイランドリー(ドラウパディー)を帰らせなかった。
「妹の花飾り職人だって? そんな馬鹿な! あなたほどの美しい方が? あなたを見たあの瞬間、既に私はあなたの虜です。私の妹の召使いなんてしていてはなりません。あなたの人生をここで無駄にしてはなりません。妹が脱ぎ捨てた服を着ていてはなりません。それはあなたにふさわしくない。
あなたは私の所へ来て、女王になるべき方です。女王の召使いなんかではありません。妹も、皆も、あなたの召使いになります。私もあなたの奴隷です。
一緒に来てください。私の所で一緒に幸せになりましょう。
我が義理の兄ヴィラータは名前だけの王です。私には口出ししません。ですからあなたがこの国の女王になるのです。
あなたの為なら何でも捧げましょう。これまで積み上げてきた名声、評判、全て私達の愛の祭壇の香りとしましょう。
私はもうあなたなしには生きられない。私に命を与えてください」

キーチャカは彼女の足元にひれ伏し、まるで女性のように感情を溢れさせていた。

「キーチャカ様、そんなことをしてはなりません。あなたの妹の召使いにそんな風に話してはなりません。あなたには身分の合うふさわしい女性がたくさんいらっしゃいます。
そのようなお言葉は、結婚するべき相手にお使いください。
私は既に結婚しています。五人のガンダルヴァの妻です。私はあなたの求婚を受け入れることはできませんし、夫達がそのことを知ったならあなたを殺しに来るでしょう。怒りを持って地獄まで追いかけ回して殺すでしょう。
あなたには申し訳なく思います。どうか手遅れになる前に、その罪深い考えをお捨てください。
このことは決して誰にも話しませんから」

サイランドリー(ドラウパディー)はキーチャカに背を向けて去ろうとしたが、立ち止まって警告した。
「もう一度言います。あなたの命に価値があると思うなら、私のことを忘れて帰ってください。
あなたが花輪だと思っている物は、自らの首にかける死の輪縄です。
あなたが果実だと思って飛びつこうとする姿は、炎に飛び込む蛾のようなものです。
あなたは素晴らしい戦士です。その偉大な名声を狂気によって無駄にしませんよう」
サイランドリーは去っていった。

キーチャカは愛の炎で燃えていた。
息を荒げながら、先ほど去ったばかりの妹の所へ向かった。
彼はスデーシュナーのベッドに崩れた。
「どうしたのキーチャカ? さっきここから出ていくときは元気そうだったのに。何かあったの? 具合でも悪くなったの?」

「妹よ、あなたに花を結うというあの女性は一体何者だ?
いつ、どこから彼女は来たのだ? 先ほど彼女と会ったんだ。彼女が欲しいんだ。私の所へ来るようお願いしたのだが、断られてしまった。
苦しいんだ。彼女が私のものにならないなんて考えられない。愛とはこんなに苦しいものだったなんて、知らなった。火の雨に降られているみたいに燃えているんだ。
妹よ、どうしたらいいんだ? 教えてくれ。どうすれば彼女を私のものにできるんだ? どうか助けてくれ」

「キーチャカ兄さん。サイランドリーは11ヶ月前にここへ来たの。この宮廷の中で居場所を与えてほしいと頼まれたので彼女の面倒を見ることを約束したわ。
最初に会った時に言っていたけど、彼女には五人のガンダルヴァの夫がいるらしいの。彼女を侮辱しようものならその罪を罰しにやってくるって。
実は我が夫ヴィラータ様も彼女とばったり会ってしまったことがあるの。彼もサイランドリーに近づこうとしたんだけど、私が優しく五人の夫のことを伝えてあげたの。そうしたら彼はそれ以上は何も行動しようとはしなかったわ。
愛する兄さん、もうこれ以上は彼女のことは考えないで。他の誰かにしておいて。サイランドリーだけはだめです。兄さんには生きてほしいんです。どうか彼女のことは忘れて」

「妹よ。あのサイランドリーを見てしまったら、どうすれば他の女性のことを考えられると言うのだ? 彼女はもう私にとって唯一の女性なのだ。
彼女は火のように輝いている。あの目は閃光のようだ。あの髪は彼女の輝きを隠し切れない煙の雲だ。あの美しさは特別だ。言葉では表現しきれない。
それはチャンパカの開花からその香りを切り離すのと同じくらい難しいことだ。
私は彼女を手に入れなければならないんだ。五人のガンダルヴァ達なんて気にしない。
ハンサムで、強くて、美しく話す男性と会ったなら女性は誰も拒むことはできない。
彼女はいつでも夫の傍に居たいと考える情熱的なタイプでしょう。そしてもう既に11ヶ月も夫達と離れているんでしょう? 口説くのは簡単です。きっと私の求愛に屈するはずだ。
まさに愛の為にある彼女は、きっと寂しく、男性を拒むなんで難しいはずだ。
彼女は私を喜ばせるし、私も彼女を喜ばせる。私だけのものにしなくては。
妹よ、彼女を私の所へ送る何か用事を作りなさい。あとは私が面倒を見ます」

スデーシュナーは気が進まなかった。兄の身に何か不幸が起きるのではないかと恐れた。サイランドリーの言葉は決して単なる脅しではなく、兄は自ら死を招いていると感じていた。
しかし、それでも兄の幸せのことを考えると、何かをしてあげなければならなかった。

「愛しいキーチャカ兄さん。私はあなたに死んでほしくないの。でもあなたは考えを変えないのでしょう?
だから、一回だけチャンスを作ります。
あなたの所からワインを持ってくるように、これからサイランドリーに頼みます。
あなたが彼女を勝ち取れるなら上出来です。もしできなかったなら、ただただあなたのことが心配です。どうか無事でいてください」

キーチャカは妹を抱きしめた。
「おお、愛しい妹よ。ありがとう。あなたのような人は他にいません。この優しさは決して忘れません」

キーチャカは運命に駆り立てられて、急いで去っていった。

(続く)

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