マハーバーラタ/4-20.ユディシュティラの血

4-20.ユディシュティラの血

一方、その前日にトリガルタの攻撃を受けて出陣していたヴィラータ王は勝利を収めて町に帰ってきた。
彼はカンカ(ユディシュティラ)達に囲まれて町に入り、国民から歓迎された。

ヴィラータ王は娘のウッタラーからカウラヴァ達の侵攻とそれに対抗してウッタラクマーラが戦いに出ていったことを聞いた。御者がダンサーの女性ブリハンナラー(アルジュナ)であったことも聞いて王は絶望した。
「なんということだ。あの子に何ができるというのか。私達が倒してきたのは囮だったとは。ウッタラクマーラはカウヴラヴァの主力を相手にしているのか? すぐに軍を集めるんだ! 息子を助けに行くぞ! スシャルマーを倒して安心している場合ではなかった」

カンカが話しかけた。
「王よ、大丈夫です。ブリハンナラーが御者をしていなら心配は要りません。たとえインドラやヤマが相手でも打ち負かせます。
私はブリハンナラーの力を知っています。どうか落ち着いてください。きっと間もなく前線からあなたの息子の勝利の知らせが届くでしょう」
「ブリハンナラーはダンスの先生だと聞いている。彼女がいれば勝利できるなんて信じられないが、カンカの言う通り、国を空けずに待つことにしよう」

ヴィラータ王にとっては長く感じる数時間が過ぎた。
牛飼い達が王の前にやってきた。
「王様! 私は戦場の近くにいました。ウッタラクマーラ王子の戦闘馬車を運転していたブリハンナラーが私に伝言を頼んだのです。
『すぐに町に帰り、王子が牛を救い、敵に圧勝したと伝えなさい。彼が凱旋するので準備をしておくように』
王子はカウラヴァ達から牛を救った上に、たった一人で全員を打ち負かしたのです」
牛飼い達は興奮しながらその話を何度も繰り返した。

カンカはその伝言を聞いて微笑んだ。
「王にも、王子にも勝利がもたらされました。なんという幸運なのでしょう。しかし私は驚いていません。ブリハンナラーの力を知っていますから。インドラの御者マータリ、御者としても最も偉大であるクリシュナですら、ブリハンナラーの前では色あせて見えるのです」

王は勝利の知らせに感極まり、町を飾って王子を迎えるよう命じた。
宮廷は幸せに包まれた。

王とカンカは一緒に座って待つことにした。
すると、ホールの飾りつけに参加したサイランドリー(ドラウパディー)に王の目が留まった。
「サイランドリー! サイコロを取ってきてくれ。とても楽しい気分なんだ。サイコロゲームをして王子の帰りを待つことにしよう」
サイランドリーは無言で目線をカンカの方へ向け、サイコロを取りに行った。
カンカが言った。
「王よ、サイコロゲームは止めておきましょう。賢者は言います。考えが落ち着いていないときはサイコロを振るべきではないと」
「カンカ、何を言っているんだ。別に賭け事をしようというのではないぞ。ただ空いた時間を楽しむだけだ。たとえ賭け事をしたとしても今は何の利害もない。さあ、こちらへ。一緒に楽しもうではないか」
「ヴィラータ様、いけません。このゲームは恐ろしいものです。かつてユディシュティラが王国も、弟達も、妻までもサイコロゲームで失った原因を知っています。サイコロは人の分別のある考えを奪い去るのです。ユディシュティラが正常な考えの状態であればあんな愚かなことは決してしなかったはずです。
サイコロはまるでお酒のようなものです。考えが酔ってしまうのです。あなたは既に興奮しています。良くない考えに導かれてしまうかもしれません。どうかサイコロゲームは止めておきましょう」
しかし王はサイコロゲームがとても好きだった。カンカは仕方なく同意した。

ゲームが始まった。
ヴィラータ王は息子の勝利の喜びで興奮していた。
カンカもまたアルジュナの勝利の喜びで興奮していた。

王は言った。
「我が息子の偉業は誇らしいものだ。あのカウラヴァ軍と戦って勝利するなんて素晴らしいことだ。彼は不可能を可能にした」
カンカが言った。
「ええ、ブリハンナラーがあなたの息子の手綱を握ったことが幸運でした」
「なんだその言い方は? まるであのおかまが偉大だと言っているように聞こえるぞ。私の息子が偉大な英雄なのだ。なぜあのダンサーを褒めるんだ? 我が息子を侮辱する気か? まあいい、今日は気分が良いから許してやろう。これ以上私を不快にさせないでくれ」
「王様、真実というのは耳が痛いものです。私が真実をお話しします。
カウラヴァの軍がどれほど強いのか考えてみてください。神々ですら立ち向かうのが困難な軍です。あなたの息子が本当に彼らを打ち負かすことが可能だったと思いますか?
この勝利はブリハンナラーによるものです。彼女なら確かにカウラヴァ軍を倒すことが可能です」

王は怒りで我を忘れた。
手にサイコロを握りしめてカンカに向かって投げつけた。
サイコロはカンカの額に当たり、血が流れた。
血が床に落ちないように彼は手に受け止め、痛みの表情でサイランドリーの方を見た。
サイランドリーは水が入った金の器を持って駆け寄った。
カンカはその中で手を洗い、サイランドリーは自らの服を彼の額に当てて出血を止めようとした。

その姿を見たヴィラータ王はサイランドリーに尋ねた。
「サイランドリーよ、何をしているのだ? なぜあなたのシルクの服でこの愚かなブラーフマナの血を拭くのだ?」
「王様、よく聞いてください。この善人カンカの一滴の血が地に落ちたなら、あなたの王国には一年間雨が降らなくなるでしょう。彼の血の一滴一滴が一年間の飢饉を招きます。これはこの国を救うためです。この善人の尊い血が流れてはいけないのです」

その時、伝令が集会ホールに入ってきた。
「王様! 王子がお帰りです。ブリハンナラーを連れて帰られました」

カンカがその伝令にこっそりと話しかけた。
「王子だけをここに通してください。ブリハンナラーは通さず、追い返すように。これはあなたの王の為です。王の命がかかっているのです」

ウッタラクマーラ王子が集会ホールに入ってきた。
王は息子を温かく抱きしめた。
しかしウッタラクマーラは王の肩越しに、カンカの顔から血が流れているのを見た。
カンカの正体がユディシュティラであることを知っていた彼はその光景にぞっとした。まるで心臓が止まるかのようであった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。この最も高貴な人が血を流している! 誰がこんな卑劣な行いをしたのだ! コブラの尾を踏みつけるようなものだぞ」

ヴィラータ王は言った。
「私だ。私がサイコロを投げつけて彼の顔にぶつけたのだ。この者はあなたの御者ばかりを称えて、王子のあなたの偉業を見下したのだ」
「父上! あなたは自分がしたことを分かっていないのです。今すぐ彼に謝って許してもらってください。神の呪いがあなたに降りかかってしまいます」

息子のあまりの慌てぶりに王は困惑した。
怒りは消え、カンカの所へ行って許しを乞うた。
その時既にサイランドリーのおかげで出血は止まっていた。

カンカは言った。
「王よ、私は全く怒っていません。ただただあなたの幸せを心配しただけです。私の血が地に落ちてほしくなかっただけです。もし落ちてしまったならあなたの死を招いてしまうので、その悲劇を避けただけです。大丈夫です。何も起きません」
王はその言葉を聞いても何のことか全く理解できなかった。
彼は息子の武勇に対する称賛を話し始めた。

その時ブリハンナラー(アルジュナ)が集会ホールに入ってきた。
王は息子を褒め続けていた。
王子は父の口から流れ続ける自分への称賛の言葉を止めることができず、アルジュナと目を合わせる勇気がなかった。
「父上、私は神々しい方に助けられたのです。私は彼の助けなしに勝利することはできませんでした。彼が一人で敵軍を打ち負かしたのです」

ウッタラクマーラはアルジュナの名を出さずに、戦場での出来事を王に報告した。
王は息子からの報告を聞き、その彼について興味を持った。
「私はその者に会いたい。恩人に感謝しなければな。私が持つものなら何でも差し出そう。娘ウッタラーを捧げたい。ぜひここに連れてきなさい」
「いえ、あの方は目の前から消えてしまいました。明日か明後日には現れると思いますので待ちましょう」

そして王は息子の戦闘馬車を運転してくれたブリハンナラーに対して、形式的な感謝の言葉をかけた。
ブリハンナラーは何も言うことなしにその場から去り、ウッタラー王女の部屋へ向かった。敵から奪ったシルクや宝石を彼女に渡した。

アルジュナは先ほどの兄の振る舞いが気になっていた。
額の傷のことが気になったが、ユディシュティラは決して彼と目を合わせようとしなかった。ずっと目を逸らし続けた。兄のいたずらっぽい微笑みを見られると思っていたのにおかしな様子であった。その真意を知るまでは気が休まることはなかった。

アルジュナはビーマの所へ行った。
「兄上はどうしてしまったんだい? 昔のような愛情を見せてくれないんだ。私がカウラヴァ達と戦ったのを怒っているのかな? あれは他に方法が無かったんだ」
「私にもそれは分からない。兄の所へ一緒に行って聞いてみようじゃないか」

アルジュナとビーマはユディシュティラに会いに行った。
ユディシュティラはアルジュナを優しく抱きしめた。
しかし彼らは兄の額を不思議そうに見た。
「この額の傷のことなら考えなくていい。王が私にサイコロを投げつけて血が出ただけだ。この傷を見せたくなかったのであの時は顔を背けたんだ」

ビーマは怒りを露わにした。
「ヴィラータ王が? 兄上! 怒ったらいいじゃないか! 殺してやればいいんだ。兄上が誰か知らなかったとは言え、侮辱したんだ。私には耐えられない。懲らしめてやる!」
アルジュナもビーマに共感した。
「兄上よ。これ以上の忍耐は要りません! ヴィラータもカウラヴァ達も私が殺してやります!」
「アルジュナよ、そうだとも! 兄よ、アルジュナの言う通りだ。あの生意気なヴィラータ王を倒してまずはこのマツヤ国を奪ってやろう。あの王の意気地のない振る舞いのせいでドラウパディーはキーチャカから嫌がらせを受けたんだ」
「二人とも、落ち着くんだ。彼を殺す必要なんてない。私が誰か知らずに侮辱しただけなんだ。彼にチャンスをあげよう。明日の朝、彼に真実を伝える。私達に敵対するようなら彼を殺そう。今は待つんだ」

(続く)

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