マハーバーラタ/1-28.ビーマとヒディンビーの結婚

1-28.ビーマとヒディンビーの結婚

パーンダヴァ達はガンジス河を渡って南へ向かい、シッダヴァタに到着した。彼らは歩き疲れ、喉も渇いていた。
ユディシュティラはビーマに頼んだ。
「ビーマ、皆これ以上は歩けない。でももっと遠くまで行かなければ。夜明けまでにドゥルヨーダナのスパイがいるこの辺りから離れないと。トンネルを出た時のようにみんなを運んでくれないか」
ビーマは喜んで皆を担ぎ上げ、南に向かって走り出した。
このヴァーユ(風)の息子の速さは父以上だった。

恐ろしい夜が明けた。
夜明けまでに8ヨージャナ(約100km)進むことに成功した。
クンティーはとても喉が渇いていた。目に涙を溜めて訴えた。
「喉が渇いて死にそう。水が飲みたいし、もう眠いの。休みましょう。カウラヴァ達に見つかってもいいから」
「みんな、ここで休んでて。近くに水があると思う。水鳥のたてる音が聞こえるんだ」
ビーマはそう言い残して、一人で水を探しに行った。
それほど離れていない場所で蓮の花と葉で覆われた美しい湖を見つけた。
さすがのビーマも疲れ果て、その湖で自らの喉を癒した。
水浴びをすると、その冷たい水はビーマの疲れと眠気を忘させてくれた。
大きな蓮の葉で器を作り、兄弟と母のいる場所へ水を運んだ。
皆ぐっすり眠っていたが、一人ずつ起こし、水を飲ませてから再び眠らせた。

全員に水を飲ませ、ビーマは近くに座り、一人で彼らを見守った。
家族の眠る姿を見て様々な思いが彼の中にやってきた。
心が和らぐのを感じる一方で、こんな場所で力なく眠らなければならない悲しみ。
「ここで眠る女性は、ヴリシニ一族のヴァスデーヴァの妹で、そして偉大なクル一族に嫁いだ人で、有名なパーンドゥの妻で、五人の勇敢な息子達の母。あの名ばかりの王の残酷な行いから自分達を守る為にここまで逃げてきた。
ここで眠る兄は、世界を統治するにふさわしい、まさに神のような男。
こちらで眠っているのは、この世界で最高の弓使いアルジュナ。
青い蓮のような、色黒でハンサムな双子は、彼らだけでドゥリタラーシュトラの一族を滅ぼすことができる。
しかし、それでも私達はあの冷酷な男を恐れて姿を隠して行動しなければならないという運命。なんという悲劇か。こうしている間にも悪人達は世界で成功している。
兄は言っていた。『まだ待つのだ』と。
始まりでも、途中でもなく、結末が大事なんだ。
川は雪に覆われた山の裂け目からどこからともなく流れ始めるが、それでも川の終わりは光り輝く。
世界は近い将来、この偉大な英雄達をこんな目に遭わせたあの罪人達にふさわしい結果が返るのを目撃する」
彼は眠らないように注意しながら、家族を見守り続けた。

彼らが休んでいた場所はヒディンバという名のラークシャサ(妖怪)の名を持つヒディンヴァナという森であった。
ヒディンバとヒディンビーの兄妹はその森に入る愚かな人間達を食べて暮らしていた。
ヒディンバは木の上から人間の肉の匂いを感じていた。そしてパーンダヴァ達の眠っている姿を発見した。
彼は妹に命じた。
「おい、ヒディンビー。あそこに人間がいるな。あのうまそうな肉、久しぶりだ。もうよだれが出るぜ。待ってるから殺して肉を持ってこい。今日は祝宴だ!」
ヒディンビーは木から木へと飛び移り、人間のいる所へ移動した。
「なんて美しい人間達。見たことないわ」
彼女の眼はビーマに止まった。
「うわっ、きれい。なんて美しい体。あの広い胸、スリムな腰、小さなお尻。もう完璧!」
ヴルコーダラ(狼のお腹)という名は彼にふさわしいものであった。
「この色黒でハンサムな男性は、私の夫にしたいわ。兄の言うことなんか聞いてられない」
彼女はその視線でビーマを飲み込んでしまうかのようにずっと遠くから見ていた。
かわいい女性の姿を装ってビーマに近づいた。
ビーマが気配を感じて振り返ると、そこには純白に覆われた、色黒な姿を持つ、誰もが魅了されてしまうような美しい女性がいた。
「あなたは誰ですか? これほどまでに美しい人がなぜこんな恐ろしい森に一人でいるのですか?」
ビーマを横目で見てわずかに微笑み、甘く優しいかわいい声で答えた。
「あなたハンサムね。あなたこそ誰? そこで寝ている美しい女性は誰? そっちの若者達は? あなた、この森がヒディンバと呼ばれる残酷な妖怪の物だって知らないの? あの妖怪は人間の肉が好きなのよ。
私は彼の妹ヒディンビー。あなた達を見つけたから、兄の大好物を持って帰るように言われたの。
でもあなたのそのハンサムな姿を見て気が変わったの。あなたを恋人として、夫として手に入れたい。きっとあなたを幸せにするわ」
「こちらが私の兄、神として尊敬する兄です。こちらが私の母。あちらが弟達。私が皆を守っています。あなたの願いは叶えられません。彼らを残してあなたと結婚なんてできません」
「彼らを遠くまで運んであげます。私はどんな姿形にでもなれるの。私の兄から遠く離れて山の頂上であなたと暮らしたい。一緒に行きましょう」
「今この無力な兄弟達を置いていくなんでできません。あなたの言うことは間違っている。ダルマに反することは頼まないでください」
ヒディンビーは涙を浮かべた。
「ごめんなさい。あなたの気分を害してしまったのね。あなたを不愉快にさせる気はないの。分かって。
あなた達全員を安全な遠くまで運んであげます。ここは兄が来るので危険なの。急いで。あなたのお母様と兄弟達を起こして。すぐにでも兄が来てしまうわ」
「とんでもない! こんなに穏やかに眠っているのに起こしたりなんかするもんか。あなたの兄? 来るがいいさ。相手してやる」

近くで大きな騒音がした。妹を待ちかねたヒディンバがやってくる音であった。
「兄はもう近くまで来ています。まだ間に合うわ。私が皆を運びます。私の言うことを聞いて」
「慌てなくていい。あなたの兄は今日いい相手に出会うんだ。森の厄介者を退治できるので私は嬉しいのだ。この腕を見てごらん。あなたの兄の心臓くらいつぶせるさ。侮辱するなよ」
「旦那様、侮辱するつもりはなかったの。あなたを失いたくないの。分かったわ。あなたが兄を退治するのを見ておきます。そして私を妻に迎えてね」
ビーマは返事しなかった。自分自身に微笑んだ。

ヒディンバは目を赤くして叫んだ。
「ヒディンビー! これが兄に食べ物を持ってくる方法なのか!! お前を罰する前にまずはこの無礼な男の面倒を見てやろう。あの世で再会するんだな!」
ビーマは微笑んだ。
「そんな大きな音をたてるなよ。母と兄弟が疲れて眠っているんだ。寝かしといてくれよ。お前の妹はちゃんと指示通り来たんだよ。でも私に惚れてしまったんだ。仕方ないだろ。恋する女性は愛する人を傷つけないんだ。でもお前は彼女を殺すって言うんだな? できるもんならやってみな。その前にお前を退治するけどな」

まるで牙を持つ二頭の動物がお互いに突進するかのように戦い始めた。
ヒディンビーはビーマの力強さに驚き、大きく目を開いて見ていた。
その激しい戦いの音で母と兄弟達は目を覚ました。
奇妙な光景が目に飛び込んできた。
ビーマと、ラークシャサ、その戦いを見守る美しい女性。
愛情あふれる目でビーマを見つめる女性にクンティーが話しかけた。
「あなたは誰? この恐ろしい森に不釣り合いな若さと美しさ。 この荒々しい森を守る女神様? それともアプサラ(天女)? なぜこの恐ろしい戦いを見ているの?」
ヒディンビーは深刻な雰囲気で頭を下げた。
「黒い雨雲のようなこの深い森は私の兄と私が住む場所です。今あなたの息子と戦っているラークシャサが私の兄です」
彼女は今までの経緯を全て話した。ビーマへの愛情のことも伝えた。
兄弟達はしばらく見守っていたが、しばらくしてアルジュナが言った。
「ビーマ兄さん! 代わってください。あなたは二晩ずっと起きていたではないですか。私達全員をこれだけ運んで疲れているはずです。私はもう元気です。私に任せて休んでください!」
「アルジュナよ、心配するな。こいつはもう死にかけだ。この小さな虫けらをつぶすのに二人もいらない。座って見てな。もうすぐ終わる」
「夜が近づいています! 夜になってしまったらラークシャサは力を増すんだよ! 太陽が西の丘に触れる前に倒さないと!」
ビーマは両手でその妖怪の巨体を持ち上げ、その命をつぶした。ヒディンバの恐ろしい叫び声が森に響き渡った。それでも怒りは収まらず、形のない肉の塊になるまで殴り続けた。

ユディシュティラはビーマを抱きしめた。
「私は恵まれている。あなた、アルジュナ、ナクラ、そしてサハデーヴァがいてくれるのに、どうして私は一人だなんて思えるでしょう? 神々を全員集めるよりも私は強いのだ」
ビーマをしばらく休ませた後、ユディシュティラは言った。
「さあ、出発しよう」
アルジュナが言った。
「近くに町がありそうです。そこへ行きましょう」
彼らは旅を再開した。

ヒディンビーが付いてきていた。ユディシュティラとクンティーに話しかけた。
「私はどうしたらよいのでしょう? あなたがあの若者のお兄様で、あなたが彼のお母様ですね? 彼に恋してしまいました。認めていただけませんか? 彼に拒まれたら私は生きていけません。
お母様、同じ女性ですから、私がどれほど苦しいか分かっていただけますよね? どうか私に人生を与えてください。私に幸せを与えてください。そうしていただけるなら、皆様を森の危険から守って差し上げます。疲れて歩けないなら、私が皆様をお運びします。どうか、私にこの若者をください」
クンティーはその誠実な愛情に心打たれた。
「ユディシュティラ、この女性はビーマを愛しています。叶えてあげるべきだと思います。ビーマの方も彼女を嫌っていないようですよ」
ビーマは彼女がいる方向以外を見回した。兄弟達はその挙動不審な様子に微笑んだ。今までそんなビーマを見たことがなかった。ビーマははにかんで足元の石を蹴っていた。
ユディシュティラはいたずらっぽく微笑んだ。
「ビーマよ、あなたの悩みは分かる。兄の私より先に嫁をもらうべきではないと考えているのでしょう? 心配は要らない。目と目が合った時、それが結婚する時だ。あなたは彼女と一緒になってよいのです。あなたには幸せになってほしい」
恋に落ちた二人はお互いに見つめ合い、目を逸らした。

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