マハーバーラタ/1-20.バールガヴァの呪い

1-20.バールガヴァの呪い

ラーデーヤは弓の知識を求めて旅に出た。
世界中に知られる弓の先生ドローナがハスティナープラで王子達を教育しているという話を聞きつけ、会いに行った。
「ドローナ先生、あなたから弓の知識を習いたくて会いに来ました」
「あなたは何者ですか?」
「私はアディラタの息子、スータプットラ(御者の子)のラーデーヤです」
「純粋なクシャットリヤではないスータプットラには教えられません」
ドローナに弟子入りを断られたラーデーヤはハスティナープラからの帰り道で考え込んだ。スータプットラであることが障害となって学ぶことができないという事実に絶望していた。

どうすれば弓の知識を学べるかと思案した結果、バガヴァーン・バールガヴァの元へ行くことを決意した。クシャットリヤを憎んでいるバールガヴァなら弓を教えてくれるかもしれないが、自らの出自を考えるとジレンマに陥った。スータ(御者)とはクシャットリヤとブラーフマナを親とするのだから、自分はブラーフマナであると言えば弟子にしてくれるだろう。しかし、もし彼の怒りを買ってしまったら恐ろしい目に遭うに違いない。
彼は決意してバールガヴァのアーシュラムへ向かった。

バールガヴァは恐ろしい姿をしていた。もつれた巻き髪、燃えるような目、その姿にラーデーヤは圧倒されたが、足元にひれ伏して挨拶をした。
「私は希望と憧れをもってあなたの元へ来ました。どうか私を手ぶらで追い返さないでください」
バールガヴァはこの若い少年の謙虚さが気に入り、彼を抱きかかえた。
ラーデーヤの目は涙であふれ、体は恐れと不思議な陽気さで震えていた。
「私はブラーフマナのラーデーヤです。あなたから弓の知識を習いたいです」
バールガヴァは微笑んだ。
「いいだろう。私が知っていることの全てを君に教えよう」

バールガヴァによる教育が始まった。ラーデーヤはスータプットラであることで積み上げられた侮辱を次第に忘れていき、あの女性の夢もほとんど見なくなっていった。知識に没頭することで彼は幸せな年月を過ごすことができていた。

しかし、運命はラーデーヤが平和と満足を楽しむことを許さなかった。

彼の教育は完成した。バールガヴァは全てのアストラ(飛び道具)の使い方を教えた。その中にはブラフマ・アストラやバールガヴァ・アストラも含まれていた。それはラーデーヤの旅立ちが近いことを意味していた。
「ラーデーヤ、君に弓を教えることは私の喜びでした。幸せだった。私が持っている知識という財産を全て与えました。君はとても正直者で、年長者に好かれている。最後に忠告するが、この知識をダルマの調和の為だけに使いなさい。悪いことに使ってはならない」

太陽が天高く昇っていた。あまりの暑さにバールガヴァは木陰で休むことにした。
「ラーデーヤ、アーシュラマに戻って一巻きの鹿の皮を持ってきなさい。疲れたので枕が欲しい」
「先生、私がここにいます。私の膝をどうぞ枕としてお使いください」
バールガヴァはその献身的な態度に喜び、彼の膝の上に頭を乗せて休み始めた。
ラーデーヤは頭の中で言葉の迷路に入っていた。
「先ほど先生は、私のことを「正直者」と言ってくれた。そうだろうか? いや、違う。私は自分のことをスータプットラとは言わずに、ブラーフマナであると言った。だが、それはこの先生から教育を受ける為の唯一の方法だった。他の選択肢は無かった。賢者は『結果は手段を正当化する』と言う。私の目的は知識を得ることだった。それは罪ではない。罪深い結果を達成する為であるなら嘘は罪だ。私の嘘は許されることだろう」

そんなことを考えながら時間は過ぎていった。
突然彼の太腿に痛みが走った。先生を起こさないように確認すると、甲虫が噛みついていた。その小さな虫は恐ろしい姿をしていた。小さな豚のような体に鉄のような硬いくちばし。何列も並んだ鉄の歯が彼の太腿に入り込んでいこうとしていた。
先生を起こさないように払いのけようとするが、その虫はさらに入り込んでいき、次第に耐えられないほどの激痛になっていった。
先生は膝の上に頭を乗せて眠っている。それを妨げたくはない。恐ろしい痛みに苦しみながら、ラーデーヤは忍耐強く座っていた。
その虫は太腿の肉を掘り進み、最後には貫通した。傷口から流れ出た生温かい血がバールガヴァの顔に触れた時、先生は眠りから覚めた。
「なんだこの血は? 私の顔に血が!!」
「私の太腿の血です。虫が噛んだのです」
バールガヴァはラーデーヤの血を飲むその虫を見て驚いた。
「この虫が、あなたを、噛んだ? そしてこの血。相当痛いでしょう。どうして一度起き上がって虫を取り除こうとしなかったのだ?」
「先生、あなたは疲れて私の膝の上で眠っていました。私は自分の痛みよりも先生の眠りに集中していました。眠りを妨げたくなかったのです」
バールガヴァはその発言に困惑した。
「いや、理解できない。ブラーフマナの君がなぜこれほどまでの痛みに耐えられるのだ? ブラーフマナというのは痛みはもちろん、血を見ることすら耐えられないことで知られている。
本当のことを言いなさい。お前はブラーフマナではない!
このような痛みに耐えられるのは・・・クシャットリヤだ!!
おお、私はこの数年間、憎きクシャットリヤに私の武器を教えていたということか! だまされないぞ! お前はクシャットリヤだろう!!」

ラーデーヤは彼の足元にひれ伏して涙を流した。
「先生、どうかお許しください。あなたは私にとって父親以上の人です。父親は子供の間違いを許し、導くべきです。
はい、私はブラーフマナではありません。
でも、クシャットリヤでもありません。
私はラーデーヤ、スータプットラです。私の父はアディラタです。
スータはクシャットリヤとブラーフマナの間に生まれます。
だから自分はブラーフマナだと言いました。私の目的は学ぶことでした。学ぶことには生まれは関係ないと言われます。
あなたのその高貴さをもって、この間違いを大目に見てください。確かに嘘をつきましたが、それはあなたの生徒になる為だけでした。あなたはこの世界で比類なき素晴らしい人です。そのあなたに献身してきた私にどうか慈悲と許しをください。どうか、どうかお許しを」

バールガヴァは怒り狂っていた。
ラーデーヤの涙も、祈りも全く届かなかった。
聖者は全ての感覚器官をコントロールできるというが、怒りだけはコントロールできないということが明らかであった。
彼はラーデーヤの献身も、謙虚さも、愛情も見えなくなっていた。虫に噛まれた痛みに我慢していたのも自分に対する愛情であったという事実も全く見えていなかった。
彼に見えていたのはただ一つ。ラーデーヤは嘘をついた、それだけであった。彼はリシ(聖者)のみが使える唯一の武器を使ってラーデーヤに呪いをかけた。
「お前は、だますことによって弓を習った。お前が絶体絶命の時、アストラを使わなければならない時、記憶がお前を見捨てるであろう。お前は武器の使い方を忘れるのだ!」
ラーデーヤは全ての感覚を失い、足元に崩れ落ちた。

そのまましばらくの時間が経ち、すすり泣きながら体を起こし、懇願した。
「どうしてそこまでするのですか? 私は弓の知識を習いたかっただけです。そのためについた嘘のせいで、そんなにも無情に呪いをかけるなんて」
懇願は何の役にも立たなかった。そのリシは呪いの言葉を口にしてしまった。それは取り返しのつかないことであった。
バールガヴァは優しい口調に戻った。
「もう口にしてしまった。それは変えることはできない。しかし断言できることがある。あなたは名声を得ます。偉大な弓使いとしてずっと後世までその名声が知られることとなる」
そう言い残してバールガヴァは去ってしまった。
ラーデーヤは腕で涙を拭い、深い悲しみに暮れた。

ラーデーヤはあてもなく歩いた。どこへ向かっているのかも分かっていなかった。
そして海岸にたどり着き、座り込んで波の音を聞いていた。どれくらい時間が経っているのかも分かっていなかった。
打ち寄せる波の音が悲しみの挽歌のように彼の傷ついた心を慰めた。

帰り道、突然動物が横切るのを見た。彼は弓使いの本能でその動物に矢を放った。鹿だと思っていたその動物は牛であった。近くにいた飼い主のブラーフマナに謝罪した。
そのブラーフマナは激怒し、ラーデーヤに言った。
「おお、なんと罪深い人よ。あなたが宿命の敵と戦うとき、戦闘馬車の車輪が泥の中に沈むだろう。そしてあなたが戸惑っているうちに、その相手はあなたの首を落とすであろう」
ラーデーヤはその呪いを解いてもらうよう懇願したが、叶わなかった。

運命はラーデーヤを標的にしていた。

彼を産んだ女性の、心ない仕打ちによって覆い隠されてしまった彼の出生。
スータプットラという汚名によって傷つけられた少年時代。
大人になってからもそれは続いた。
偉大な弓の先生バールガヴァの弟子になることで幸せになれると思っていたが、それはただの幻想であった。
そしてこのブラーフマナの呪い。
もはやラーデーヤには拭い去る涙も残っていなかった。

生きる価値なんて・・・あった。
たったひとつ。
私を愛してくれる母ラーダー。
彼女だけは自分を愛してくれる、そのことだけは覚えていた。
私が愛を必要とする時、彼女は愛してくれた。
私が泣いた時、彼女は涙を拭ってくれた。
私が疲れた時、彼女は頭を撫でてくれた。
私はラーダーの息子、ラーデーヤ。
この名前を永遠に留めること、それだけが人生の唯一の目的となった。

ラーデーヤは母の住む家に帰り、教育が終わったことを告げた。
だが、それが無駄になってしまったことは言えなかった。
家で数日過ごした後、クル王家の都ハスティナープラへ行くことを決めた。
そこに行けばきっと自分の学んだことが役に立つと考えていた。

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