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中国でよく道を聞かれます。

私だけなのかと思ったら、主人もらしいですが、
中国ではよく道を聞かれるのです。

顔は同じアジア人なので国籍が一見してわかりにくいかもしれませんが、でも、服装や連れている子どもの人数などの端々から、中国人ではないとわかったりします。
加えて、日本語を話しながら道を歩いていますから。

それでも、話しかけられ、道を尋ねられるのです。そのほかにも、何か出来事があっていたりすると、それについて聞いてきたりします。

特に固有名詞は、熟知していること以外は聞き取るのが難しいので、その場合ほぼ回答は「不好意思,我不知道。」それでも粘って聞いてくる場合は「不好意思,我听不懂。」
そしたら、相手はスッと去っていきます。そして、また違う人を捕まえて聞いています。

中国人の方々は誰にでも構わず聞いている様子なので、とにかく答えが得られることが第一目的なんだろうなと思いました。
と同時に、相手が答えを知っているかどうかと相手の属性とを初めからリンクさせていないことに、少し感心しました。
(ひょっとして、欧米等全く違う外見だと道を聞かれないかもしれません。また、あまり周りを見ていないだけかもしれません。)

日本でなら。
道を聞きたいときとか何か人だかりができていたりするときに、外国人っぽい人が通っていたら、「あの人は多分わからないだろう」と思いこんで話しかけないだろうなと。
外国人でも日本語を話し、何年も地元民として過ごしている方が大半だったりするんだろうけど、見かけだけで「英語で話しかけたほうがいいのかな」「日本のことはわからないだろう」と潜在的に思ってしまっていた自分に初めて気づきました。
無意識に、自分の目的達成(道等の状況を知る)ができるできないの精度と相手の国籍・属性とに、勝手に相関をもたせてしまっているなと。

言葉が通じないことがわかってからの態度の急変は、間違いなく中国のほうが露骨に嫌な感じではありますが、最初は同じ土台に乗せられていることを、時にすごくうれしく感じたりする日々です。

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