『恋愛バトルロワイヤル』、もやもやしたけど理由がうまく説明できない

『恋愛バトルロワイヤル』というNetflixのドラマを見た。
勘違いされると嫌なので、ここで断りを入れておきますが、ドラマは大変楽しく拝見しましたし、続編も楽しみにしています。その上で、少し引っかかったことを書いているだけです。

あらすじは以下のよう

良家の子女が通う歴史ある超エリート女子高校に通う有沢唯千花。娘の将来を考え、無理をして学費を工面する母のためにも卒業を目指していたが、高校2年進級時に、男子校と合併。明日蘭学院として共学化したことをきっかけに“男女交際禁止”の校則が設けられる。しかも違反し性交渉をした生徒は退学処分という厳しい内容だった。生徒会によるパトロールこと“ウサギ狩り”が行われ、退学者が続出する中、唯千花はあることをきっかけに正体を明かさないまま違反者からお金を受け取り、証拠写真を揉み消す“ラブキーパー”としての活動を始める。

引用:Netflixシリーズ「恋愛バトルロワイヤル」キャスト&あらすじ【まとめ】|シネマトゥデイ (cinematoday.jp)

以下、ネタバレと思う人もいるかもしれないから見るなら自己責任。
※どうでもいいだろうが、私は主人公の子の顔と声と雰囲気がめっちゃタイプ。好き。

相関図つけときます。

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/8d8f7688ff2d40e11a7dac7f0712f1dd29259fe7

ドラマ内で男女交際禁止の校則が示された瞬間、「性別二元論!?同性愛は!?2024年にして嘘だろ…」ってなった。ヘテロセクシズムでロマンティックラブイデオロギーにまみれた作品かよと見る気をなくした。

でも1話で認識は覆される。さすがNetflix。私が思いつくような批判はちゃんと想定している。大変失礼しました。

なんで男女交際に限ったのかとかも話が進めばちゃんと説明がつくようになっている。そして、シス女性と思われる子が同性に恋愛感情を覚える描写や、シス男性と思われる人が同性に恋愛感情を覚える描写がある。そして、校則の中でいないことにされたことについても当事者意見という形で言及されている。 (これからも隠れて生きていかなきゃいけないのは嫌だ的な意見はグッと来たね。)

また、恋愛感情を持たないことはおかしいことではないというようなことがスクールカウンセラーの役を通して言及され、恋愛したい子/したくない子それぞれ自由だと言及されていた(アローロマンティックが常に恋したい/しているわけでもないし)。

クィアの存在を校則問題解決の切り口の1つとしていた。当該の校則を見た時に一番にクィアの透明化、「寛容」という名の不可視化が気になった身としては興味深いなと思いながら見ていた。

基本的には面白いなと思って1日で全話見きった。1周しただけだし、もう1回全部見たら何か感じ方が変わるかもしれないというエクスキューズは入れたうえで、なんかモヤモヤした部分があるからここに書いて整理していきたい。


まず、明確に言語化できる点から。
アウティングの扱いが軽すぎる点について。

藤野紗和が桜井悠月に好意を持っている描写が早々に出てくる。藤野は桜井が男子生徒と親しくしているのを目にして嫉妬し、ナイフを振り回す。これによってクラス中に藤野の桜井への好意が知れ渡ってしまったということであろう。
これはまあ事故みたいなものでこれに関してアウティングがどうとかはちょっと言えないのかなと思う。ナイフ振り回したりなんだりした割には、みんな「寛容」だったし、同性が好きなことはみんなの引っ掛かりにはなっていなかった。

でもこれは「女の子同士のちょっと強すぎる友愛」と周囲は認識してしまったからなのかなとも思うし、酒に酔っているからってので流されちゃったんだとも思う。女性同性愛は友愛と混同されやすく、不可視化されやすいので。
(友愛と恋愛感情を明確に分ける必要がなく、グラデーションであるという考えもわかるが、異性間の時は友愛として捉えないことの方が多いことを考えれば、女性同性愛への軽視があると言わざるを得ない)

アウティングの扱い軽すぎる問題のメインは男性同性愛の方だ。

梨木拓真と一ノ瀬るかは修学旅行でキスをしているところが藤野によって撮影され、リークされる。しかし、学校側が「恋愛」としてカウントせず(そもそも校則は「男女交際」としているため校則違反にならない)、リークをないものとして学校は処理した。
その学校の対応に不満を持った藤野は、梨木と一ノ瀬がキスしている写真を校内の掲示板に貼る。社交的で文化祭実行委員長までなっていた梨木は、これをきっかけに不登校になってしまう。

藤野がやったのは明確なアウティング行為である。アウティングされた側は不登校以上の最悪な状況に追い込まれる可能性すらある行動だ。

藤野は自分も同性愛者であるがゆえに、学校側の同性愛を「恋愛」にカウントしない姿勢に傷ついていた。同性愛は恋愛ではないのかという趣旨のことを校長に直談判しに行くシーンもある。

いや、待って。いくら自分も当事者の1人であるからとか、傷ついたからとか言ってもやってい良いことといけないことがあるでしょ。これは人を死に追いやりえるほどの絶対にやってはいけないことだということは伝えなきゃじゃないの!?だってさ、一橋アウティング事件とか有名だけど、知らない人の方が多いんじゃない?アウティングの被害者って今日も絶えずいると思うし。(私もアウティングされたことあるし)

さすがにもう少しアウティングの件は丁寧に描写すべきだったんじゃないかな。イヤな記憶が掘り起こされたクィアの視聴者もいただろうし。場面としてアウティングを扱うことを非難したいんじゃなくて、アウティングはもう少し繊細な扱いを要する問題じゃないかなってこと。



で、もう1個モヤモヤしていることはあるんだけど、これは言語化がうまくできない。感情的な部分だから、ダラダラと綴っていく。

藤野紗和の件がやっぱりモヤモヤしているんだよね。

女性同性愛者のイメージがステレオタイプじゃない??
精神的に不安定で嫉妬深いって女性と同性愛者へのステレオタイプのイメージっぽくてさ、ちょっと嫌だった。ゲイ男性の方は結構丁寧に描かれてたからなおさら。お茶の間への浸透度合いがゲイの方がレズビアンより高いから、ゲイの方が丁寧な感じで描かれるよなとか思っちゃった。制作側にそんなつもりないのかもだし、こっちの感情的な話でしかないんだけど。なんかイヤ。

結構クィアの悩みとかそういうのは共感できる感じで描かれているように私は感じるけど、なんかクィアを都合よく使う感じがしちゃうっていうか。背負わせすぎじゃない?みたいに思っちゃうシーンが時々あって。主人公にはしてくれないのに、お話の展開に利用された感?
いや、クィアがメインで出てくる作品に慣れていないだけなのかな。

私たちは、その存在をないことにされてきたり、凝り固まった数少ないタイプのイメージでのみ表象されたりしてきた。浮気性とか逆に異常嫉妬深いとか。でもって大体精神的に安定していない。もっといろんな性格の、いろんなキャラのクィアの物語が必要だよね。シスヘテロがもつ物語と同じように、いろんな語られ方をしてほしい。もっと自分たちの属性のことが語られた物語、音楽があればいいのにな。

自分で自分のために作った作品以外大抵のものは少しモヤモヤする部分が出るのは仕方ないし、すべて私が満足するように作れみたいな傲慢なことが言いたいわけじゃない。
ただ、自分の中でこれはモヤモヤしたよということを書き残しておく。続編があるっぽい感じだから、それも楽しく見れたらなとは思っている。

※クィアのことをかなり扱う作品になるのなら、セクシュアリティ監修は入れた方がいいのではと少し感じてしまった。(出演者さんや脚本家さん等の一覧っぽいところやクレジットにLGBTQ監修の人を見つけられなかったが、もし専門家が監修していたのなら余計なお世話で申し訳ない)

※ドラマの結末としては、選択肢が増えるだけのことを反対する奴の方が多くなっている学校は一度人権教育をやり直したらどうか?と思った。選択的夫婦別姓に反対する奴みたい。選択肢が増えることを嫌って、他人の権利を制限したがる人って何なんだろう。

※寛容を「寛容」と表すのはデニスアルトマンが示した3種類の差別の種類のうちの1つとしての「寛容」を指したいから

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