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現実にしてきた夢見る夢子が、介護でも夢見る夢子と言われる中での、私達夫婦の新しいチャレンジ!

どうも、大髙ユキです。
わたしは昔から「夢見る夢子」と言われます。だけどそれが現実になると、人は手のひらをかえします。昔からのパターンなんです。

なぜ夢見る夢子と言われるのか?
それはスピリットが示した未来が、今の常識が崩れた改革された世の中になっていく世界を見せられており、その意味をわたしは時代の流れを分析検証して確信をした事を行動に移して言葉にしているのです。
10年後の常識で話すので、まったく言葉が通じませんから、夢見る夢子だと言われてしまうのです。

ですが、わたしのことを夢見る夢子と言わない人たちがいます。それは時代を変えていく実業家の方々やセレブと呼ばれる人たちであったりです。

なぜそういう人たちは、わたしのことを夢見る夢子と言わないのか?
わたしの考えには「時代を読み解いたこと」を踏まえて伝えているから。
過去からの社会問題が、今の現在まで持ち越されてしまっていることが沢山あります。それがなぜそうなるのか?それを解決した社会の可能性と未来はどうなるのか?を、【今という現実だけを俯瞰する】とスピリットが見せた10年後の常識で生きていかないと時代遅れの人間になると確信をするから、今の自分自身が出来て、何よりも情熱と喜びをもってできることをやっていこうと決めた理由も話をしているからです。

社会問題を読み解くのに、自分自身の感情は一切排除してただ俯瞰する。それぞれの社会問題には、必ず共通項があり、それを見つけるだけのこと。これが常識外れだから夢見る夢子と言われる。

おまけに自分自身の情熱と喜びで取り組む姿勢も、これまた夢見る夢子だと想われる理由の1つなんだと分かりました。常識のレールから外れてることばかりだからね。
だけど「君の言うことはそうなるよ」と言ってくれる人達は、そういう考えのもとで生きているんですよね。なぜなら世界平和を基盤に物事を考え、自分自身の人そのものも考えているから。そして自分自身が疲弊すると結局搾取と分断が生まれてしまうから、そうならないように無尽蔵に可能性という幸運の現実が生み出され続けるには「自分自身の本音にある情熱と喜び」が必須なのだと知ってるから。
時代の常識を変えてきた人たちやセレブと呼ばれる人たちは、問題の根源を深く捉えて、それを人々や自然や土地などが本来の姿で輝くことを独自に見つけており、それを今の自分が内側から沸き起こることをやっているだけなんだと。


そういう人たちは、
エネルギーを感じる力がある。


人が発するエネルギー
モノが発するエネルギー
土地が発するエネルギー
動物が発するエネルギー
植物が発するエネルギー
自然が発するエネルギー
地域が発するエネルギー
文化が発するエネルギー


それぞれにあるエネルギーを感じとり、なぜ本物なのかを分析検証しているから、自分の言葉で話す。その積み重ねが感性を磨き上げ、時代の可能性を導きだす感性と知性も磨きあげ続けているのだ。だから普段の会話も目に見えていない、現実になっていもいない美しい可能性をどのように現実にするのかという話で盛り上がっている。


そこには
【美しさ】が必須である!


わたしもコンサルティングでお客様の目に見えていないけど、お客様の可能性が言葉とエネルギーで読み解く。お客様が抱える仕事とプライベートの問題には共通項があるので、それを見つけて、お客様が持っている可能性を「左回りの現実エネルギー」と「右回りの宇宙エネルギー」の両方を言葉にして伝えている。だからパラダイムシフトが起きるんだけどね。
「右回りの宇宙エネルギー」がなんとも美しいんですよ。この美しさは目に見えないけど、とにかくピュアで美しい!だけど「左回りの現実エネルギー」は培った知性なので、それもシッカリしていて美しい!


私達夫婦は、
介護と美しいエネルギーの
新しいチャレンジが始まった


わたしは介護で母のエネルギーを感じながら、母の可能性をみて、今の問題(家庭のささやかな問題や社会問題と世界情勢の問題)が今の常識の限界がきているのを知り、自分自身の古くてダサい考えと常識を知って愕然としたりしながら、常識をぶち破ろう!と、夫婦でやりはじめたばかりである。

いま、わたしは認知症の母の介護をすることになった。そこでもこの感覚を信じてやっているが、やはり夢見る夢子だと言われてしまう連続である。
だが大阪から東京に母を連れていこうと決めた時にも、美しいエネルギーがフワッと降りてきて、このエネルギーを信じることにした。そしたら数多くの奇跡が起きた。
東京で介護をしながら、母の自尊心と尊厳の美しさが垣間見れる。そして一筋の光が見えており、この光が何かを知るために、母の自尊心と尊厳を称える関係性を築きあげている。
これを介護に詳しい人に話すと、夢見る夢子と遠回しに言われてしまい、「認知症は病気ですから」と何度も何度も言われる。確かに正しいのだが、わたしは母の中にある無限の可能性が感じられてならない。それが2028年の経済の常識になった未来の世の中と一致していると確信をしているので、ユックリとユックリと進んでいる感じである。
何よりも母が妹に対して小さな声で「バカにして」と何度も言っていた。介護に詳しい妹なりに頑張って母を喜ばそうとしているのだが、もしかしたら的外れだったのもしれない。そんなんで、今度から八王子の我が家だけで介護をすることになったから、わたしも妹と同じように母から「バカにして」と言われるかもしれないが、そこは覚悟をもって、良いことも悪いことも受け入れる覚悟をもって取り組むと夫婦で決意した。

なによりもわたしは、母の介護に一筋の光が見えていて、それを通して地域とテクノロジーの関わり方になり、それが新しい何かを生み出し、地域と人と家族が幸せに喜びに溢れた新しい介護や地域作りになるだろう。
個人の自尊心と尊厳を称えることが核にあり、それがあるから家族との幸せで喜びあふれる関係性が循環した暮らしが具体的に言語化できて、はじめてテクノロジーが役に立つ。
おーー、一筋の光がうっすらと見えていたのが言葉にできて嬉しい。ブログで独り言を書いてて良かった。

テクノロジーの基本は、人の喜びがあってのこと。テクノロジーが先ではない。
2028年の経済の基盤には、人間、自然と土地の尊厳と自尊心を称えあう関係性が循環している。それは個人そのものを見ていくことなのだ。人として至極当たり前だが、今までの時代は地位や権力で人を見るフィルターの教育と常識を、何百年と刷り込まれてきた世の中だからね。それが2028年には「ダサいでぇー古いでー」の時代になり、個人そのものを見る常識になる。というかそういうに社会とシフトしていってるしね。

私達夫婦のコンサルティング
https://note.com/shannbara/n/nde78fcc67889

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