屁ッセイタイトル2__17_

「書くことがない。」から書き始めた結果。

書くことがない。
本当にない。
特にない。

そんな中、書きながら膨らむんじゃないかと思って書いてみます。

最近下ネタが続いていたのでそこは禁止にしましょう。
一切の下ネタを排除し、elegantでtrès bienな文章にしましょう。

読んでいる人の心が浄化されるような。
都会の喧騒をひと時でも忘れられるような。
読み終えた後に、世界が少しだけ鮮やかに見えるような。


長考。


ありませんね。
全くと言って良いほど美しい感情が芽生えない。
目の前に綺麗なものが何一つとしてない。

鏡に映る自分なんて以ての外。
部屋も散らかり、さっき食べた飯の洗い物もしていない。

じゃあ何を書けばいいんでしょう。
あ、今思っていることをそのまま書いてみますか。

バイトだるいなあ。
行きたくねえなあ。
洗い物だるいなあ。
洗濯もしてねえや。
お湯沸かしたのにコーヒー淹れてへんわ。

なんだこれ。
これがエッセイと呼べるのでしょうか。

「何だっていいんだよ」
とか調子のいいこと言う奴は平手打ちします。
なんだかんだ言ってエッセイにも「フリ」と「オチ」は必要です。
じゃないとこんなクソ素人の書き物なんて読む価値ないんですよ。

そりゃ竹内結子のエッセイなら違いますよ。
結子が朝食べたパンの味だって、コーヒーの香りだっていい。
仕事だるいとか、家事炊事やらねえ夫への鬱憤だっていい。

そっから本人を想像して妄想膨らみますからね。
何を感じて日々生きているのか、どんな些細なことでも妄想材料になる。

いけませんね、また下ネタに寄ってきました。
じゃあなんだ、嘘でもついてみましょうか。

私、実は幼少期をロシアのウラジオストクで過ごしたんです。
父の仕事の関係で、向こうの日本語学校へ通いつつ、向こうにも友達がいました。

フルシチョフ、ゴルバチョフ、マレニコフ、ギルバコフ、モモミコフ、パセレコフ、ツカフィコフ。みんないい奴でした。
向こうでは鹿の肉が高級食材で、よくギルバコフのお父さんに山に連れて行ってもらって、鹿を狩る現場にも行きました。

鹿は猟銃で撃ち殺すんですが、耳がいいんで少しでも「ハアハア」息してると逃げちゃうんで文字通り息を殺すんです。そしたら一度近くに鹿がいる気配がして、2分ぐらい息止めてたらそのまま倒れて死にかけたんですよ。

今となってはいい笑い話ですがね。
ははは。

なんですかこれ。
誰やねんギルバコフって。
名前考えるのですら億劫なって後半ヤケクソです。

でも、あっという間に1000字ですね。
こんな日があってもいいじゃないですか。

普段使わない脳みそを解放できますからね。
そもそも「誰が読むねん根性」で書けばどうってことありません。

読んで損したでしょう?
あなたの損が、私の得なんですよ。

元はと言えば「シャニカマの記事を読めば何かが得られる」と思っている時点で大きな大きなノッポの間違いですからね。そこをまず正していただきたい。

ああ、ロシア人を抱いてみたい。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。