屁家物語タイトル__6_

【短編】◯ン・ゴジラ

男は童貞の最中にいた。

女性のきめ細やかで、柔らかな素肌に、指一本触れることなく四半世紀が過ぎている。その気になればコンビニ店員から釣り銭を受け取る時にでも触れられるだろうそれの前には、男にとっては何十年も公開されぬままの国宝に似た畏敬の念が横たわっていて接触を拒む。触れた途端に脆くいつ瓦解してもおかしくない理性を守る、防衛本能なのかもしれない。

男はそんな均衡を保ったまま、人通りのまばらな午後の住宅街を歩いている。近所に小学校から高校までが詰め込んだように建てられた立地のせいもあってか、ベビーカーを押した若い主婦や部活動に励む女生徒など、あらゆる女性が往来する。

Tシャツの内側にある世界、ノースリーブの少し先、チューブトップのわずか向こうを想像し、まるで別の生き物かの如く欲望の塊が街中でムクムクと膨れ上がる。
男はまるで手に負えない凶暴な我が子をなだめようとする、臆病な母親のように彼と会話する。

ごめんな、ちくしょう、ごめんよ、ふざけるな、すまない、いつまで待たせる気だ、わからないよ。

ジーンズの膨らみに対して俯いたまま、すまない、と少し声に出してみた。
急に周りの音がクリアに聞こえ始める。下校する小学生の集団が目線の位置にある彼の友人を不思議そうに見つめながら少し早足で立ち去っていった。

「これあなたのですか?」

振り向いた男の前には女性が小さくややほつれたハンドタオルを差し出して立っている。しかし、男の目に飛び込んだものは豊かに膨らんだ二つの胸だけだった。
白く、洗いたてらしいブラウスに覆われてはいるものの、少し高い男の目線からは国宝がチラチラとその姿を覗かせている。少し手を差し伸べているせいか、若干屈んだ彼女の体制によって国宝は少し痩せて完全な球体ではなくなっている。これまで想像と画面越しにしか拝んだことのない男には、絶妙なリアリズムであり、強烈な刺激は網膜から脊髄を降って股間に直撃するのだった。

2秒のブランクを経て焦点がハンドタオルに移り、どこか見覚えのある水色の円形を基調としたキャラクターが高らかに手をあげてこちらを見つめていることが認識される。
明らかに先ほどの小学生が落としたものであったが、男は咄嗟に「あ、はい」と告げた。

女は少しいぶかしそうにしつつも、偽りのない笑顔で、はい、とハンドタオルを手渡した。彼女の掌、おおよそ小指の第二関節付近であろう柔らかな膨らみが男の手の甲に触れる。
そしてあろうことか彼女は両手で彼の手を包み込んでハンドタオルを男に握らせた。

真っ白な雲間から突然落ちた稲妻のような電流が手の肌から骨を伝わり、一直線に肘までを貫いて肩から全身に同心円状の円を広げるようにして伝わった。男は「ひうっ」と声をあげてしまう。
女性は「大丈夫ですか?」と申し訳なさげに訪ねたが、それは男の鼓膜をわずかに揺らすだけで脳の処理を受けることなく消えてしまった。

男は突然下半身に違和感を感じ、それが冷んやりとした感覚を伴ったため、途端に全てを悟る。彼の友人は無残にも果てていた。

男は言葉にならない礼を告げてとにかく走った。
不快感の残る下半身をどこかに振り落としたいと思った。
こんな惨めなものに振り回されるのは嫌だと思った。

一心不乱に走ると、そこは工場地帯だった。
既に空は黒々としており、派手にライトアップされた工場が立てる轟音を吸い込んでいく。

男は誰もいない突堤まで歩き、ズボンとパンツを下ろした。
よく前が見えない。何秒かに1度灯台の明かりが過ぎていく。
既にしおれてしまった股間から一筋の糸が引いているのが見えた。

背後を確認し、誰もいないことを確認すると、男は黒と赤のストライプで染められたパンツを脱ぎ、一度股間を拭ってから海に捨てた。
思いの外綺麗な弧を描き、滑空するパラグライダーのように風に乗ったパンツが沖へ向かって飛んでいき、そのまま海面に不時着した。

「俺は悪くない。悪いのは俺を童貞のままにした日本だ。」
そう呟くだけで、腹の底からきゅう、と音がして涙が溢れてきた。


3週間後、朝からどのチャンネルも1つのニュースを報道し続けていた。
男も例外ではなく画面に釘付けとなっている。

『今朝未明、東京湾沖で突如巨大生物が姿を現し、今も進行を続けています。全貌は確認できませんが、とても長い尻尾のようなものを時折水面から突き上げています。現在もアクアラインでは復旧の目処が…』

何度も繰り返し再生される巨大な尾っぽに国民は恐怖していた。
男も例外ではない。しかし、少し意味が違った。

『尾の先端には縞模様があり、専門家によるとこの模様は毒性の強い猛禽類特有のものらしく、巨大生物は猛毒を持っている可能性が高いとのことです』

尾っぽの先には見覚えのあるストライプがハッキリと見えた。
なぜそこまで伸びたのか分からないが、尾の先端、周囲2m近くを覆い尽くしている。

巨大生物は日本を破壊するだろう。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。