チャレンジャーでありながらも。

毎回ここの文章の書き出しに迷う。
見返してみると「最近」から始まる文章が多すぎてなんでワンパターンな文体なんだと絶望した。
とはいえ、何かしら「最近」思ったりモヤモヤしていることをここに言語化しているから、「最近」という言い回しをするのは仕方ないのか。

そんなことはどうでもいいとして、僕が「東海学生アワード」や「古民家こらっせるの経営」など、変人が集まるチャレンジャーズ界隈に入ってなかなか久しい。
多分明確にその界隈に飛び込んだのは去年の東海学生アワードに参加した時が、スタート地点なんだろう。その前までは自分はどの立ち位置でどんなコミュニティに属しているのかがぼんやりしていたし、多分どこにも属していなかったんだろう。結構な孤独。
まあ正直、アワードに参加する時も「意識高い人ばっかりで怖いなぁ」っていう不安はあった。つまりどこにも属していないという孤独感を持ちながらも、自分が偏った界隈に行くことに対してのなんとなくの拒絶、ホメオスタシス的なものが働いていた。
孤独感と新しい場所に行くことへの拒絶反応というアンビバレントな感情を持っていたのだと思う。

で、結局アワードに参加し、今年はなんと実行委員長になってしまった。
ここで不思議なことが起きた。
去年の自分はアワードに参加することなどに対して恥ずかしさとか、後ろめたさみたいなものを感じていた。しかし、今年に関しては、参加者側ではなく実行委員長というど真ん中のポジションになったのにそれに対して恥ずかしさみたいなものは全くなかったのだ。
それは自分がこの界隈にいることに慣れたからなのか、普通の大学生だった頃の気持ちを忘れてしまったからなのか。
いや多分ここはもっとポジティブな理由だ。
一歩新しい領域に飛び込んだことで逆にいろんなことに折り合いがついたんだと思う。

さっき新しい界隈に入ることに対して恥ずかしさや後ろめたさを感じたと言ったが、それは多分そこに入ることで既存のコミュニティとの関係性がどうなってしまうか、具体的には「意識たけぇ〜」って離れられてしまうのではないかという不安だった。

まあ実際に友達との距離は生まれたのかもしれないけど、ここで発信をし続けたことや、あった時にちゃんと伝えてきたことが功を奏して、全く関係ゼロにはならなかった。会った時にはいつもと変わらず接してくれる友達は残っていた。

昨日温泉で同じ学生起業をしている友達と話している時に、彼が「自分は中庸でいようとしてしまう」と言っていた。
すごく気持ちがわかった。
彼はソーシャルやスタートアップといった領域の論点や、思い主体の起業か、実益や事業としての回りを重視した起業かみたいな論点でその話をしていた。
僕は、このチャレンジャー界隈か、いままで属していたチャレンジャーではない界隈かという点で中庸でいようと思っているなぁと思った。

この話に関してはこのnoteで何度も話しているし、ずっと苦しんでいたことだったと思う。けど今振り返ってみるとそこは解決していたんじゃないか?今までの友達や普通の大学生だった感覚を大事にしたいという気持ちと、自分がやりたいことや叶えたいことに対する野望は両立できる。少なくとも今はそう思っている。

過去の自分は、自分がもっと強かったら、過去のコミュニティや友達を切り捨てられたら、こんなことで悩まないんだろうと思い続けていた。先輩方にもどうせ今までの友達とは話が合わなくなってくると言われた。もしかしたらこれからそうなるかもしれない。

けど少なくとも今はそうじゃない。友達を大事にしながら、自分のエゴは叶えられる。

どこまで行っても自分はどっちもわがままでありたい。

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