メモ

僕はとことんロジカルではない。自分の頭の中は大体言葉として纏まっているわけではなく、ドロドロモヤモヤしたものが渦巻いていて、自分が非常に右脳派であることを日々痛感している。

自分の考えとか思いを話すときに、言語化までに時間がかかるし、アワードの時も熱意は伝わったけど、何が言いたいのかよくわからんみたいなことがいっぱいあった。

だから、具体化をしていくのがものすごく苦手だ。「たとえば?」とか「具体的には?」とか問われると、ドキッとしてそんなこと聞かんでくれ、察してくれと思う。
自分が旭地区でやりたいこと、ビジョンについて考えた後に、具体の手段に写ろうと思うと、ビジョンと具体的な手段の間にものすごい溝を感じることが多い。というかほぼそんな感じだ。
というわけで、とりあえず、自分のビジョンを書き出してみたい。書ける範囲で。

自分は、地域コミュニティを再定義したい。過去では、地縁だったり、その地域にいることで、つながりを持っていると判断されてきたんだろう。この地域で一緒に生きる存在であることや、助け合う関係性であることで、地域というコミュニティに属しているという認識があった。

しかし関係人口という概念が広がり、この地域に定住していなくても、定期的に訪問したり貢献をするという関わりしろが、市民権を得た。しかし、言葉としては広がり、地域側も関係人口に対して寛容な態度を示しているのはあるが、定住人口と関係人口には見えない壁があると思う。来客としては歓迎されているが、住民としてはみられていない感覚。

それはある意味仕方ないとは思う。地域に常にいるのと、たまにしか来ないのでは、情報量・コミュニケーション量に差が出てきてしまう。だから、一緒に住んでいるという感覚は生まれづらいだろう。

けど僕はその常識は変えられるんじゃないかと思う。関係人口でもこの地域コミュニティに完全に属しているという感覚は持つことはできるんじゃないか。この地域に住んでいる、住んでいないかかわらず同等に地域コミュニティに属するメンバーとして存在することができるんじゃないか。土地という”呪縛”から外れた、けど”地域”というドメインを共通項としたコミュニティが作られるんじゃないか。

それは、僕にとって地域コミュニティの絶対に外せないコアの部分は、地域の土地ではなく、文化・伝統だと思うからだ。この地域に根付いた言語化がなかなかできないような文化、当たり前、習慣。それがこの地域をこの地域たらしめるものであると思う。(それって具体的に何って聞かれると難しい。。。)一方で”それ”が永遠に変わらないわけってでもなく、時代によって流れるように変化していくものであると思う。

でもコミュニティに属する人たちが確かにそのコアの部分を言葉にすることはできなくても、感じ取ることができて、共感できていれば、変わりつつも、確かに存在するものになるんじゃないか。(ここの部分が本当に抽象的すぎて伝わらない)地域における土地というものが手段に変わるんじゃないか。

んでなんで異常に関係人口が地域コミュニティに属することにこだわるのか、地域に住んでいる人だけで良くね?とか思うだろう。
それにはいくつか理由がある。けどここの理由の部分に関しては、なんか絶対大切なんだ!ってことはわかるけど、うまく説明できる気がしない。論理的に言葉にしようと思うと、途端に浅くなってしまうのが悔しい。というのを踏まえて読んでいただきたい。

地域側としての理由
もう定住人口のみの地域自治に限界が見えてきた。
僕は旭地区のある集落で自治に参加している(全て参加できているわけではないが)現状地域自治を大体が高齢者の方が担っていて、町内会にも、僕以外はほとんどシニアの方だ。みなさん本当に優しい方ばかりなので、本当にありがたい限りであるが、この10年後これと同じような光景が広がっているだろうか。今元気に活動されている方が10年後も同じように、草刈りや地域の自治に参加されているだろうか。
これは限界が近いぞ。そう思った。だったら、外部から人を雇って作業員として入れればいいじゃん。いや僕はそれは違うと思うのだ。地域自治は地域コミュニティに属している人がやることに意味がある。地域自治というのは具体的な作業だけでなく、それで生まれる雑談や、交流にこそ意味がある。だったら、地域コミュニティに属しながら、関係人口として存在している人たちが自治に関わっていくことが、より地域を盛り上げ、より豊かにしていくのではないかと思うのだ。

外側としての意見
自分の居場所・コミュニティとして
現状、どんどん個人主義となっている世の中。コロナウイルスの流行により、その分断はさらに加速していった。そんな中、自分のありのままの姿を認めてくれるようなコミュニティがないことに自分自身気づいた。どうしても自分の能力を見られてしまう。自分のポンコツさにコンプレックスがあった僕は、このしんどい中、自分自身が強くならないと、能力をつけていかないと生きていけないのかとちょっと絶望していた。
そんなときに出会ったのが、旭地区だ。旭地区の方々は僕が何もできないこと、ポンコツであることを受け入れて、愛してくれた。そこに僕は居場所を感じ、基本的に何も続かない僕でも3年間この地域での活動を続けることができた。
世の中の人は気づいていないかもしれないが、この資本主義社会の中でも、自分のありのままの姿を受け入れてくれるコミュニティがある。それは、多くの世の中に生きづらさや、自分のポンコツさに苦しむ人にとって本当の意味での居場所になるのではないか。そんなふうに思うのである。

という感じでメモがてら自分のビジョンを書き出してみた。疲れたからこのくらいにしておく。



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