占い


占い。

僕は占いに行ったことがない。


別に興味本位で行ってみたいとも思わない。

周りでも「こないだ占いに行ってみて・・・」という話をよく聞くが、それでも僕には一切興味が湧かない。


かと言って、スピリチュアルな分野に一切興味がないわけでは無い。


パワースポット的な場所に行ってみたいとも思うし、風水的なものにも興味はある。


ただ、占いには一切興味が無い。


恐らく、占いは”人”が介在してしまっているから、興味が持てないのだと思う。

占いは”神様”や”神秘の力”というように実在しない概念的なものではないので、「占い師も自分と同じ”人間”なんだ」という意識が強く向いてしまうからだと思う。


心理学用語で”バーナム効果”というものがある。


これは占いによく使われる手法で、誰にでも当てはまる曖昧な内容にもかかわらず、自分にドンピシャ当てはまる内容のことだと思い込んでしまう現象のことである。

具体的には、占い師に席に座って早々に、「あなた最近悩んでいますね?」と言われて、「はぁっ!!えぇ!?何も話していないのに、なんで分かるんですか!?」と思い、「やばい・・・、この占い師、本物だ!」と信じ込んでしまうようなことである。


だが、そもそもほとんどの人は大小あれど何かしらの悩みを抱えているものだし、冷静に考えてみれば、夜遅くに一人で占いに来るような人が悩み事が1つも無い人生絶好調天真爛漫ガールなはずもない。

ましてや、その人の服装からある程度の情報は知ることができるし、詳細はどうであれ仕事での悩み事で来たのかなど推測することはできる。


もちろん中には、本当に非科学的な神聖な力が存在するのかもしれないが、確かに占いの中にはこういった心理学的なテクニックも存在するのである。


肝心なのは、”掴み”である。

最初の”掴み”で信頼を勝ち取ることができれば、その後多少内容が雑であれど、論理がばらばらであろうと、強引にでも展開を作ることができる。

占い師も営業マンや漫才師と同じで最初の”掴み"が大切なのである。


かと言って、僕は占いに興味が無いだけで、決して占い師をバカにしているわけではないということは強調しておきたい。


占いも1つの娯楽である。

占い師の方もボランティアではなく、1つのビジネスとして商売をしているわけである。

新規顧客をリピーターにする必要があり、そのためには自身のブランディングが重要になる。

そのために、バーナム効果のようなテクニックを用いて占いをすることもある。

これは卑怯でも何でもなく、ビジネスにおけるマーケティング手法の1つである。


極論、占いの内容が嘘か本当かだなんてどうでもいいと思う。

たとえ、でたらめな嘘であったとしても、占いを受けた人の悩みが無くなり楽しく生きるようにしてあげられるのなれば、それでいいと僕は思う。

占いが当たった当たらなかったはどうでもよく、その後どのような結果をもたらしたかが大切だと思う。


ただ、中には人の弱みに付け込んで、甘い言葉で自分の信者とさせて高額な商品を買わせるような悪い占い師もいるので、気を付けなければならない。



と、まあ今回の本題は別にあり、少し占いの類で毛色が変わるが、僕が納得いかないのは朝の占いである。


朝の情報番組でほとんどの番組が星座占いや血液型占いをしている。

何年経とうが、忙しい朝でも少し動きを止めてみてしまう。


占いの内容がどうであれ2分後にはきれいさっぱり忘れてしまうし、ラッキーアイテムを意識して過ごした日など1日たりともないのだが、やっぱり見てしまうのである。

別に期待もしていないし、当たろうが当たらまいがどうでもいいのだが、面白くて見てしまうのである。


問題は血液型占いである。


星座占いはまだ良い。


星座というのは、地球の周りを回る太陽が生まれた月に12個の星座の内、どの星座に近かったかというもので12通り存在する。

なので、星座占い担当占い師は毎日12通りの占いをしなければならない。


しかし、血液型というのは4通りである。


横道十二星座と異なり3分の1のたった4通りである。

単純に考えて、血液型占い担当占い師は星座占い担当占い師よりも3分の1の回数の占いで済むのである。

ゆえに、占いに費やす時間も3分の1で済むだろう。


となれば、必然的に血液型占い担当占い師は星座占い担当占い師よりも占いに対する熱量が劣るだろう。

毎日4時間勉強する人間と毎日12時間勉強する人間とでは、前者は後者と比べると学問に対する熱量が劣るだろう。



つまり、僕が今回言いたいのは、朝の血液型占いでも星座・血液型占いを同じ目で見るのは良くないのではないかということである。



たった1通りの占いの中でも、その対象となる人間のその日の様子・展開を予想し、さらにその状況を打破すべく幸運のアイテムを決めなければならないのである。

毎日神経をすり減らす魂を込めた占いを12回する人間とたった4回で済む人間を同じ評価をするというのはあまりに酷ではないか。


まあ、確かに12回占いをする分、仕事が雑になってしまうのではないかという気持ちも分からないでもない。

ラッキーアイテムが”サボテン”と言われれば、「いや、絶対家にあったもんで済ませたやろが!」とツッコミを入れたくなる時もあるだろう。


確かに、ただ占う数が多ければ多いほど偉いという単純なものではない。


しかし、量と質の問題とは別に、僕は覚悟の強さを見てあげるべきではないかと思う。


ただ闇雲に12時間勉強するよりも効率よく4時間勉強した方が良いという話ではなく、「毎日12時間勉強をするんだ」という覚悟が重要なのである。


毎日4通りの占いではなく、12通りの占いをすると決意した覚悟が重要なのである。



恐らく、その覚悟の裏には物語が隠されているのではないだろうか。


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ある日、突然上司に呼び出された。

「明日から365日休まずに12回占い続けてくれるか?」

私はその言葉の意味が理解できずに戸惑ってしまった。


私にそんなことができるだろうか。

私にそんな役割が務まるだろうか。


それだけではない、当然家族のことも頭によぎった。

私のせいでまた両親に心配をかけてしまうのではないか。

育て方が間違っていただなんて思わせてしまうのではないか。


私にとって本当にその道が正しいのだろうか。


いや、違う。


世の中には朝の占いを待ってくれている人がいる。

私の力を必要としてくれている人がいる。


確かに、もっと良い条件を提示してくれたところもあった。

4通り占うだけで人よりも良い生活ができるほどの待遇が受けられるようなところもあった。


でも、そうじゃない。


お金や周りの目なんかじゃない。

そんなくだらないもののために、私は働くわけじゃない。


人のため。

困っている人々のため。

私の力を求めてくれている人のため。


私ができること。

私にしかできないこと。

私がすべきことを誇りを持って全うする。


それこそが、私がこの世に”生”を受けた意味。


思考が追い付くよりその前に、私はもう言葉を発していた。

「ぜひ、私にやらせてください。」


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華奢で小柄な身体とは対照的なたくましく大きな眼には彼女の強い覚悟が確かに宿っていた。

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小さな薄暗い会議室でいつものように伝えた。

頼み事とは建前で、ただの非情な命令だ。

今日もまた1人の若者を地獄へと導く。


しかし、いつもの部屋が今日はやけに明るく感じた。


僕はそんな彼女をかつて上司の死んだ目に映っていた若き日の自分の姿と重ね合わせた。


止めてあげるならば、今しかない。


彼女はまだ知らない。

この先、想像を絶するような苦しみが待っていることを。


彼女はまだ知らない。

世界とは、あまりにも美しく、あまりにも残酷なものであるということを。


それでも、彼女は決意したのだ。


この先、どんな苦しみや悲しみが待ち構えていようとも。

決して逃げずに、戦い、そのすべてと向き合い続けていくということを。


僕はすっかり忘れてしまっていた。

20年前、この会社に入った頃に抱いていた大切なものを。

現実を知り、自分の無力さを知り、夢と希望と共に捨ててしまったものを。


彼女の一点の曇りもないその瞳は、僕に無粋な言葉を飲み込ませた。


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私たち視聴者が本当に見るべきは占いの内容でもなく、ラッキーアイテムでもない。


その文字に込められた彼ら・彼女らの強い想いなのではないだろうか。



水瀬












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