みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
今日は歴史授業で習った過去の大災害を詳しく
関東大震災
1923年(大正12年)年9月1日に起きた大災害を当時の新聞記事の見出しを一部紹介したいと思います。あまりにも量が多くて、調べるのに時間がかかったので、地震のあった9月1日から3日までの3日間に限定します。
9.1
当日の情報。ざっくりしていて、被害や震源地が正確につかめていませんね。
鉄道が不通になり、名古屋から東京へ移動できなくなったようです。
横浜では大火災が発生した模様
白湯ってなんでしょう。地震でそんなことがあるとは
もう、電話も断絶して、連絡のとりようがないようです。
9月2日
未曾有の地震であるという認識がはっきりしてきました。
主に伊豆地方の被害がまず、伝わったようです。
全体像が少し見えてきたようです。
内陸の山梨県のほうまで被害が大きかったようです。
街は火事で港に停泊している船に逃げ出す人がでるほどだったようです。
まだ正確に情報がつかめていないようです。
横浜が全滅って理解できないですね。
具体的な損害もわかってきました。
首都東京も大変になっているという情報がわかってきました。
広島から船で横須賀へ物資を届けに。今でいる自衛隊ですね。
線路が大きくうねってしまうというのは現代ではあり得ないですね。
日本一の高さを誇る浅草のビルが倒壊したのだそうです。
地震の様子が語られています。
東京の被害状況も。宮城県ではなく、皇居のことでしょう。
かなり広範囲に被害が出ていることがわかります。
火災の上に水もなくなるという恐ろしい状況に
膨大な犠牲者が出ているというのがわかってきたようです。
温泉地域も全滅
長野県の山まで噴火してしまいました。
もはや言葉にするのも難しいほどの光景という。
もう自力で立ち直ることは不可能ということでしょう。
具体的な被害の数字もわかってきました。
長野県まで大きな被害があったようです。
余震が続いていたようです。
潰されて亡くなるというのもおぞましいですね。
東京全体が火の海なんて信じがたい状況
津波も来ていたようです。漢字を読むのに苦労しました。
火事も津波もあるとは逃げようがないですね。
まだ正確な情報がつかめていないようです。
避難できて良かったです。
重要な建物や学校も多く燃えたようです。
おそろしい。
この時期、記事は大阪で書かれているようで、被害状況の確認に飛行機を飛ばしたりするようです。
余震は恐怖を増幅します。
西日本から東京へ電話することができないというのは、電信が開通して以来初めてのことだったという。
横須賀の被害も甚大
甲府もほぼ全滅という
悪夢としかいいようがない
ここまできたら戒厳令出すしかない
9月3日
これを地獄絵巻と言わずになんと言えよう
国の中央機関まで焼けてしまった。
避難しているのに火災を喰らうというのは悲劇としかいいようがない
東京駅は地中に杭を打ちまくった構造だったため、倒壊を免れた数少ない大きな建築物だそうです。
最初の2,3日でこの人数はありえない
朝鮮人のことでしょうか。いろいろあったようです。
シンプルだけど、惨状を表しています。
地獄以外の何者でもない
本当にすごい揺れだったのでしょう。
船にそれだけ避難するのも大変でしょう。
飢餓まであるとつらすぎる
山が形が変わるほどの地震って
気の毒としかいいようがない
被害の広まる様子を表現
新潟は相当離れているのに被害があったのか
千葉も相当被害あり
ようやく正確な震源地がわかったようです。
惨めでつらい状況です。
4日目以降もいろいろと状況が変わるので、また別の機会に紹介したいと思います。
それではまた。