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「インドの福沢諭吉」の考察

ハーバード大学卒、P&GインディアのCEOを経て、作家・戯曲家・歴史家・哲学者・教育者でもあるグルチャラン・ダスの本を読みました。「インドの福沢諭吉」とも呼ばれるダスさんが、インドのことや日本について話した内容を纏めた本です。以下の通り、色々と新しい発見がありました。

失われた40年:「混合経済」による経済成長の鈍化

1947年、インドはイギリスから独立すると、ネルー、娘のインディラ・ガンジーとその流れを汲んだ人々が政治の中心に長く居座ることになります。政治は民主主義ですが、経済は自由主義ではありませんでした。「混合経済」と呼ばれ、生産の多くを公営の企業が担当し、主な商品の価格を統制する社会主義的な計画経済です。社会主義とは違い、私的な企業活動を禁止はしないけれど、規制と計画でがんじがらめにするのです。
まず、政府が許認可権を持つため、許認可を取るためにビジネスマンが疲弊しました。当然わいろの要求もあります。また許認可さえとれば独占企業になるので、ベンチャー企業が市場に入ってくることがなくなりました。競争がないから商品の価格も下がらないし、改良も進まない。
加えて、政府の規制・「レッドテープ」を増やしていった結果、産業が活性化されなくなりました。やる気がなくなったビジネスマンは海外に脱出するか、もしくは地下に潜ってしまいました。

ネルーとインディラ・ガンジーの6つのミス

日本に象をプレゼントして貰ったり、ネルーとインディラ・ガンジーに対しては良いイメージを持つ日本人が多いと思います。ダスさんは、上述の混合経済の導入を中心に、1991年の経済改革までインドの経済成長が遅れ、国民の大部分が貧しいままになってしまった要因としてネルーとガンジーの政策を厳しく批判しています。その中で以下の6つのミスを挙げています。

①輸出を否定し、自給自足経済を目指したこと
②自由経済のビジネスをすべて否定したこと
③レッドテープ(許認可)の多さ・煩雑さをつくりだしたこと
④外国資本の参入を厳しく規制したこと
⑤公営の企業が生産を担ったため、労働者を解雇できないこと
⑥教育・医療・芸術の振興にまったくお金を使わなかったこと

モディ首相の評価はBプラス

ダスさんとしてのモディ首相の評価はBプラスとのこと。その理由は以下の通りです。

プラス項目:GST(消費税)導入、企業の破綻処理を加速させるIBC(インド破産法)の施工、汚職の撲滅、インフレ抑制、デジタライゼーション政策など。

マイナス項目:突然の「高額紙幣廃止」(いきなりすぎて、中小・零細企業の資金繰りにダメージ)、雇用創出への努力が不足、ヒンドゥー至上主義っぽい。


「マウス・マーチャントの成功」

インドのビジネスパーソンなら知っている話に「マウス・マーチャントの成功」というものがあるそうです。子供たちが読む「Story of India Business」にある有名な話で、起業の大切さを物語る話。インドのビジネスパーソンは9割が自営業。大学を出て、大企業に勤めても、いずれはやめて自分の会社をつくる。インドではこのような起業家の話が好まれるようです。話の内容は以下の通り。

母子家庭で育った、貧しい男の子がいました。男の子は14歳。なんとかして母親を助けたい、と常にビジネスの種をさがしていました。ある日、金持ちの家の玄関にネズミの死骸ががあったので、男の子はドアを叩き、お金持ちに「このネズミ、もらっていってもいいですか?」と尋ねたのです。お金持ちは「ふむ」とうなずきました。「君は不思議なことを言うね。むろん、いいよ。持っていきなさい。こっちは片づける手間が省けるからね」
男の子はネズミの死骸を紙に包んで、隣の村へ持っていきました。そこには猫を飼っている未亡人が住んでいることを知っていたからです。未亡人はネズミを猫のえさにすると言って、お金をくれました。
すると、男の子はそのお金で豆と水を買い、森の中へ。木こりが暮らしているのを知っていたからです。そして、木こりに豆と水を渡すと、木こりは喜びました。「オレは金を持っていない。代わりに、薪を持っていけ」とたくさんの薪をくれました。
男の子はその薪を大事に保管しました。そして、モンスーンの時季が来た時に売りました。モンスーンの時季になると薪の値段が高くなることを知っていたからです。それから、男の子は薪を売った金を貯めて材木商人になり、24歳になったときには貿易に使う自分の船を造るまでの金持ちになりました。

参考図書:2020年「日本人とインド人」グルチャラン・ダス

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