引き算からプラモデルへ

時間というのは手段であり目的にもなる。枠のように如何に効率よく詰め込むか意識することもあれば、森の中を歩く音楽を聴く愛する人と過ごす時間そのものが目的になることもある。認識次第で時間というのは意味が変容する。物事を習得したり努力することにも同様に二種類がある。結果に向かって最短を出したいのか、過程を楽しむか、の二種類である。おれが思うに何かにガチで取り組むときはこの二つを区別して時間を過ごすのがいいと思う。というのは、おれはたびたび過程の楽しさにとらわれて遠回りしていることがあると悟ったのだ。過程を楽しむという目的を始めから過ごしているならともかくなるべく早く目的を達成しようとしているはずなのに、無意識に過程を楽しむのは、誘惑に負けているととらえることもできよう。例えばスマブラをするときに、オンラインで全国制覇することが目的なのか、強くなるまでの試行錯誤を楽しむのが目的なのかで取り組み方はまったく変わるはず。おれはずっとこの二つを無自覚に混ぜて過ごしていたように思う。例えば、おれのノートは書くこと自体を楽しんでいて楽器を弾いたりダンスをしている感覚に近い。しかし、それでは読みごたえという面では遠回りであろう。今は目的はないが、どうせ踊るなら上手くなりたい。だって人に読まれるのだから。おもしろいがも少し読みやすくしてほしいと言われたら応えてやろうと思うのがおれなのだ。そこから何も思うところがないのならおれはアナログ日記に書く。何よりおれも読みにくい自覚はあったのだ。ただね、時間は使いたくないんだよな。今以上の時間をかけて書くのは楽しいと思うけどほかの生活が侵食される。楽器は弾く過程を楽しむではなく目的を持った瞬間だった。同じ時間でクオリティを損なわないまま読みやすくする。新しい試行錯誤を加わって書いてみる。たぶんおれがやるのは校正じゃなくて、組み立て方だろう。今は砂場で山を作ってるような書き方。砂をどさっと砂場にぶちまけて削っている引き算感覚で書いてる。これはね。探偵脳のせいなんだよwシャーロックが言っていただろう?推理とは可能性から積み上げるのではなく、あらかじめすべての可能性を用意しておいて手掛かりを見つけるたびに消去して残った推理が真実であると。この思考のほうが見落としがなく、シャーロックホームズは幽霊やUFOの類も推理の答えとして常に用意していたという。しかし、ノートを書くときには非効率なんだよね。表現というよりおれのノートは雄叫びに近いし。どうせならかっこよく叫びたい。獣に生まれたからにゃね。次におれが試すのはプラモデルを組み立てる書き方になる。部品を予め用意して組み立てるイメージだ。引き算なしであらかじめ部品を用意する。パーツの準備にもっとも時間を使うだろう。アプローチが変わることでおれの中から何が引き出せるか、探ってばらして揃えて並べてとくとご覧いただこう。

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