めざめる野性ほとばしる理性

ポーカーに唯一不満があるとすれば感動が少ないことだった。カタルシスや達成感はあってもそれが何かきっかけになることは少ない。未知のプレーやライバルとの戦いでわくわくしても感動はしない。燃え尽きた時期もあった。ないものをポーカーに求めるのは違うんじゃないかと思って他のことに目を向けだした。すると多くのことに感動、つまり心が大きく動いた瞬間があった。無関係に思える経験や知識がちょっとづつ繋がったり突如ドハマりしてポーカーへの熱意や技術を向上させることがあると感じた。ポーカーというのは人生の車輪のひとつに過ぎず、ポーカーだけを据えるものではないと考えるようになった。どの車輪も噛み合って正のスパイラルを起こす関係にあり、大事なのはいつどれを早く回転させるかどこを大きくするかと考えるようになった。ただそれは個人的な事情やコントロールできない世界の出来事でどうしても自然に変化してしまうものだともわかった。避けようのない不条理や舞い降りてくる感情に振り回されると中途半端になってしまう。タイミングを見計らって切り替えられることが理想だと思うようになった。切り替えるとは、覚悟をするということだ。際限なく生まれる葛藤を捨て、すべてを注ぐということだ。その範囲はお金、時間、思考、誘惑、駅のホームでの過ごし方までオールインすることになる。そうしてみると、捨てた思考や時間が必要不可欠だったとわかったりもっと力を注ぐべき場所がはっきりして生活全体が研ぎ澄まされてくる。自分を実験したくなってくる。そうしていくと感覚的な何かが研ぎ澄まされる。食そうとするものが美味いか不味いかどんな味か無意識に予想するように思考や行動に疑問を抱くようになる。その繰り返し。まるで刀鍛冶だ。製鉄し精錬し打ち振るう。そうすると今度は精神的にも肉体的にも凄く疲れるようになる。回復するためにはスイッチをオフにしなければならない。辛事には理を幸事には情を。情でいっぱいになる時間もあったほうがいいことにも気づいた。まだまだおれはおれをわかっていない獣なのだ。飼い慣らしているつもりでもつぎつぎと暴れたり止まったりする。詩を書いてみたい。初めてそんなことを思った。詩集を読んでみたい。いきなり辛い物が食べたくなるように、海鮮が食べたくなるように、今おれは詩を読んでみたくなった。これが獣なのか。おれは獣なのだ。

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