布教の獣

誰かに薦めるときは自分の言葉で語るのが威力が高い。個人の場合特にそいつのアンテナや人生の行き詰まりを知ってるわけでそこへ役立つと具体的に伝える。コンテンツがいくら素晴らしくとも公のプラットフォームにある場合たいてい最大公約数的に書かれている。布教という意味での威力は薄い。深く鋭い剣を振れるかはお前の言葉で語れるかである。リンクを張るだけだったり他人の言葉を伝えても根源からの情熱を拾ってるのはお前なわけで、その熱を相手が同じ根源から感じるかは全く別の話となる。需要を拾いかつそこに刺さるようにぶん投げる。これは個人vs個人でもっとも最強の威力になる。おれは素晴らしいものに直面したときその威力をそれ自体に丸投げしていたせいで威力が出ていない人生を送ってきていた。ゆえに相手は共感や行動に至ることがなかった。おれは善意的なエゴを達成できなかった。共有による楽しみや相手に刺激を与えるエゴを達成することができなかった。いつしかそれが達成できていることに気づいた。なぜそう至ったのか。振り返ると自分の言葉で語るようになっているおれに気づいた。おれは自分の言葉や伝える力に自信がなかったのでリンクを張るに留まるやつだったのだが、いつしか自分の言葉で発して受信し感染する相手にウケていたwそこではエゴ以上のものが叶ったように思えた。そこでビックバンが起こり人が輝きだしたように思えた。棒で球をぶっ飛ばすことに人生を捧げたイチローがそういうムーブをする謎をほんの少し理解できた気がする。自分という権威を利用して他人の人生を豊かなものに導くヒントがわけられるのならば、悪くない。趣味の範囲でインターネットに設置してる分には微笑ましいもんで、能動的に掘り起こす者には宝を掘り当てさせよう。矜持を言語化していくことで覚悟を養いクオリティを上げて見せよう。おれはお前に介入する。お前の脳に侵入する。おれは獣だ。

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