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草も生えない


「特に何も為してないけれど、打ち上げをしよう」と数人の友人を誘って誰かの家でしっぽり深酒をした。すぐ打ち上げるという意味では僕はロケットだった。

当時大学生だった私は、久しぶりに前後が分からなくなるほど酔っていた。当時の呼気を純白の花弁に吹きかけたなら、たちまちに紅潮し、酸っぱい匂いを放つハエしか寄ってこない植物に成り下がっただろう。花言葉は「誰でもいいから無茶苦茶にして」。

酒が足りなくなったので、買いに行こうとマイケルを誘ってコンビニに向かうことにした。マイケルは「うぃー」と言って長い手足をもたれさせながら立ち上がり、おぼつかない足元を一歩一歩確かめるように歩き出した。マイケルは本名ではないし、外国籍でもない。ごつい漢字四文字が本名の、純日本人である。風貌が南米系というだけで周りからマイケルと呼ばれている。誰かが「マイケルみたいだね」と言ってからは彼はマイケルになった。今思えばホセにもカルロスにもなり得たが、当時の僕たちは海外=マイケルという安直な脳みそだったし、見た目であだ名をつけてはいけないという倫理観も持ち合わせていなかった。

マイケルを初めて見かけた日のことを思い出す。


大学が始まってすぐ、学校の最寄駅に向かう電車で彼を見かけた。ロックバンドのボーカルを想起させる服装だったと思う。長身痩躯。褐色の肌。彫りが深いのに目だけが細い。チリチリの長髪。ぎらりと光るシルバーアクセサリー。裏稼業のオーラを纏う彼と同じ学校でなければいいなと思っていたところ、むしろ学科や選んだサークルまで一緒だった。それだけに留まらず、彼は都会出身だったが、彼のいとこは僕と同じ田舎の高校・学年のとっても可愛い子だった(これは後で知った)。偶然が多すぎる。

逆りぼんだ。サークルの歓迎会である花見の席まで同じになった僕は、そう思った。これからきっと電話番号を聞かれ、ついでにと口座番号を聞かれ、健康状態を聞かれ、臓器を売り飛ばすことになるんだ。

だが、話してみるとすぐに彼が思うような人ではないと分かった。物腰は柔らかわけではないが、決して粗野ではない。前に出て騒ぐわけではないが、屈託のない顔でよく笑う。打算ではなく、自然に人に好かれるタイプだ。周りの人を苗字にちゃん付けで呼んでおり、僕もそう呼ばれて悪い気はしなかった。いつの間にか先輩の懐に潜り込み、可愛がられていた。その先輩に我々新入生も紹介してくれる。なんだよマイケル、いいやつじゃん。

打ち解けたマイケルと桜並木を抜け公衆便所に行く途中、「見てて」と彼が持っていた缶の中身を口に含んでいく。一気飲みとはこれまことに陽の者だなと思っていたところ、彼はおもむろに空を見上げ、毒霧を吐いた。連なった赤い提灯、煌々と光る屋台の照明、それらに照らされたどこまでも絢爛な桜。毒霧は全ての風情を切り裂くように頭上へ舞い、そしてすぐ消えた。一瞬周りの音が止んだように感じた。何やってんだよと言おうとすると木陰で立ち小便でもしていたのか「うわっ冷てえ」と驚く男性の声が聞こえ、僕とマイケルは爆笑しながら逃げろと公園を走った。汚いし意味の分からない奴だなと思いながら僕は、彼の口から出た見事な毒霧を思い出し、この光景は一生忘れないだろうなと確信した。彼はきっと、ありきたりな物差しでは測れない魅力を持つ、規格外の男なのだ。

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ちょうどあの夜と同じような気候だ。酩酊、空気が澄んでて気持ちいい。

10月、神無月。「夜神月」と似ているため、自作のデスノートに嫌いな先生の名前の後に「全裸で教卓にウンコをしながら絶命」などの死因を添えて皆に自慢をしていたあの頃を思い出し、いっそ自分が心臓麻痺で死にたくなることでおなじみの、神無月である。

10月初旬の夜風はやや冷たく、酔いをさますように通り過ぎていった。コンビニは長い坂道を下ってすぐである。マイケルにどんな酒が飲みたいか聞いたところ、「うぃー」としか応答がなく、後ろを振り返るとそこには千鳥足を超えて壮麗なダンスを踊るマイケルの姿があった。米津玄師の「LOSER」みたいだった。



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爆笑しながらおい!と声をかけてもマイケルはLOSERを踊り狂っていた。ふざけてるのかと思ったがそうでもなく、深酒と急激な坂道が彼をLOSERにしているらしい。

彼はHIP HOP系のダンスサークルにも所属しており、学園祭のステージを一度冷やかしに行ったことがある。元々関節の可動域が狭いのか、彼だけ上から糸で操られているみたいで面白かった。ステージ後にホネホネダンスだったね♡と言ったら割と本気の肩パンチをくらい、しばらく拳の跡が肩に残った。

そんななのにお前お前お前!!!!!!


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今すごいぞ!!!!!!!!!!!


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どったのキレキレよ!!!!????


ああ〜、でも転ばないでね、酔って転ぶとへんなとこぶつけちゃうから…




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ほら〜!!!!!




てか関節ヌルヌルじゃん!!!!!

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皇潤!!皇潤!!皇潤!!皇潤!!

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これから酒飲んで踊れよ!!!!!



そんなことがありつつ、何とか彼を落ち着かせたあと、ガードレールにもたれかかって休憩した。マイケルも少し落ち着いたようだった。

落ち着いたか、水も買おうなと彼に問いかけたら、俯いた顔をあげ僕の目をじっと見つめた。完璧な「無」の顔だった。目はガラス玉で、口元は弛緩して半開きだった。閉店後のペッパー君でもこんな顔しねえぞと思いつつ、彼が何か言いたげだったので、その言葉を待った。

「・・・吐く」

ハク?ニギハヤミコハクヌシのほう?おにぎり持って来いって?そんな冗談をいう間も無く彼は背を見せ、ガードレールの向こうにある草むらにおもむろにその夜の全てをぶちまけた。




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きゃあっ、どうしようと僕も慌ててみたものの、どうにもできず彼の背中をさすることしかできなかった。背中の温度は今でも覚えている。

しばらくして、大丈夫か?と声をかけると彼は「うぃー」と応答し、誰かがリセットボタンを押したみたいにけろっと立ち上がっていつも通りの関節可動域で歩き出した。さっきはすごい勢いで戻していたなあと感心をしながら、僕たちは買い出しを済ませ、また夜宴へと戻っていった。


それから半年ほど経ち、僕たちは就職活動をしていた。添削、応募、面接、お祈り。そんな繰り返しの日々が確実に精神に翳りをもたらしていた。たとえどこかの会社に受かったとしても、それはゴールではなく長い労働のスタートで、永遠に思えた無所属無責任の楽しい日々の終わりはすぐそこである。

とにかく気分が重かった。

その日も手応えのない面接の終わりで、自炊する気概もなくコンビニに寄って、豆腐とサラダと納豆とかつお節を買って帰るところだった。これにごまドレッシングをかけて食べると美味いのだ。しかし、足取りは重い。帰ったらまた就職活動に備えるための作業が無数に待っている。

それにしてもこの長い坂道、行きは良い良い帰りは怖いでまるで地獄へと続く道のようだ。あの楽しい夜宴の買い出しも、帰りは結局二人で具合を悪くしながら帰った記憶がある。そういえば強烈にマイケルが戻したのもこのあたりだったな、と僕は見覚えのあるガードレールの裏側を見て、少しドキッとしたあと、「わはは」と声を出して笑った。


春も深まってきた季節で、一帯に雑草が生い茂っているのにマイケルが戻した場所だけ綺麗に何も生えていなかったのだ。つんつるてんのつるっぱげ。まさかね。何度も場所を思い出し確認したが、場所は間違っていないようだ。どういう因果かは分からないが、そこだけ綺麗に何も生えていない。半年以上経つのに。あいつ、あの夜除草剤でも飲んでたのか。だったら普通死ぬ。それともマイケルの胃液にはそういう成分が含まれていたのだろうか。毒霧も吐く男だから不思議ではない。

さすが規格外の男。半年前の伏線を回収するとは只者ではない。

僕は長い長い坂道の頂を眺め、少し軽くなった体で一歩を踏み出した。


彼は僕と同じサークルをいつの間にか辞めていたし、最後の方は普通に名前で呼んでいたけど、それでも会ったらくだらない話をたくさんしたような気がする。彼も大学時代の思い出を語る上で欠かせない人物の一人だ。エグザイルの会社に入るって言っていたけど、無事入れたのかしら。

大学卒業後、仕事もやっと慣れてきた頃だった。夜中にいきなり、いつ空いてるのとLINEが来た。話を聞くとミスチルのライブの設営手伝ってくれないかとのことだった。何&何の何のせいでそうなったのかは分からないが、君はなんなんだ。仙台に住んでるのにいきなり東京に行くわけない。

第一エグザイルはどうしたんだ。本当に規格外の男だ。

それから更に数年経つ。彼は元気だろうか。僕は先日、在宅勤務が続いて10円ハゲができた人のニュースを見て君を思い出したぞ。

#エッセイ  ?



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