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詩を詠むことについて

ふとした頃から、詩というものに漠然とした憧れがあったように思う。詩集を買っては少し読み、そのまま大事に本棚にしまってみたり。ときにそのいくつかを、じっくり紙に写してみたり。のめり込むような情熱はないものの、どこか特別な視線を注いできた。

何年か前にある本を読み(いつどこで読んだかはなぜか思い出せない)、詩には〈人に読んでもらう詩〉と〈自分だけのために詠む詩〉があることを知った。詩というのはもっぱら「詩人」という職業の人が書いて、人目の触れるところに公表するものと漠然と考えていた私にとって、それはとても新鮮な発見だった。詩が他の芸術と同じく、鑑賞の対象であるだけではなく、何か目的を達成するための手段であること。そして特に、詩を詠むことが、自分の心の内にうまいこと言語化できないようなもやを感じるとき、とても有効であることを知った。

それから「ああ、なんだか詩を詠んでみたい気分」と思ったのはまたしばらく経ってからだが、そんなこんなで私は、言葉にできない、または簡単に言葉にしたくないような気持ちになると、詩を詠むことにしている。私にとって詩は、もつれた紐を解くための辛抱だったり、ひとひらの気持ちやおぼろげな夢を仕舞っておくはこだったりする。

今回はテーマである『友達』を軸に、広く人と人との関係について頭を抱えながら詠んだ(ような気がする)ものをいくつか選んでみた。というより、私にとっての問題は、言ってしまえばそのすべてが人と人との関係に端を発するのだけれども。

※本文は、三十路を迎えるにあたって友人が刊行するzineのために書いたもの。

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