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落ち着いてきた心

ある2月の日だ。
ふと主治医が私に聴いてきた。
「ところで、あの女性とはどう?まだ意地悪されてるの?」
「いえ。もうすっかり縁が切れました。その為か、発作もなくなりました」と私。
「そう。良かった。前とは全然顔色が違うよ」

他人から見てもわかるのだろうか。
実は私自身も以前のような苦しみはなくなった事を強く感じている。

主治医が言われた女性とは、カトリック教徒数人だ。その中でも特に酷かった女性がいる。
Twitterでは、我が家の玄関写真を使い息子の偽アカウントを作り、散々、私の悪口ツイートをしていたのだ。
元々はmixiで知り合ったのだが、当時の私はバカで(今もだが)、人を見抜けなかった。だから多くの人に騙された。
彼女はカトリック教徒だが、ブログやらTwitterの中身は他人の悪口ばかり。主に嫁ぎ先だが。
私はというと、義理の父母は良い人で苦しめられてはいなかった。
ただ、夫に対する不満というのは募っていった。彼女の影響で、夫に対しての憎しみが募っていき、不動産屋巡りをしていったのだ。いつか離婚する!そればかり考えていた。

そんな私だが、彼女と完全に縁が切れて心が落ち着いた。


そして、ある時、夫に対して不満をぶつけた。
「私は土日、祝日と仕事があるのだから、息子の食事を作って欲しい」と。
それから、お金の事。
私だけが悪いんやないでーー。やり繰り下手とか言うな、と。

今まで、口も利かない間柄だったが、それからは何となく上手くいくようになった。
他人の悪口しか話題がない女性と縁を切ったことで、人は随分と変わるものだ。

それから、もう1人。
ある小池百合子応援団の女性の嫌がらせもあったが、そちらは上田令子都議に助けて頂いた。

今では、非通知電話のかからない我が家。平和だ。

と、それはおいておき・・・

私の実家は元々、真言宗豊山派だ。菩提寺にも随分お金を出している。
それなのだが、ある事故をきっかけに、弘法大師空海への信仰から外れてしまったのだ。

それは私が小学生の時の交通事故だった。
父の運転する車で、祖母、兄、私と父の妹宅に行こうとしていた途中で交通事故に遭ったのだ。無理に信号を右折しようとした父が悪いのだが、その5分前にトイレに行きたかった私は、公衆トイレに行くべく祖母と席を変わった。その直後の事故で、祖母1人亡くなったのだ。
私に恨み言を言って亡くなった祖母。それが全てだ。
父はアルコールの量が増え、暴れまくり、中学生時代の私は学校の給食だけを食べる日々であった。
そして、父の会社の同僚の妻で日蓮宗系のカルト宗教にハマっている方が家に来るようになった。
仏壇の前で、家族の罪をあげ、何妙法蓮華経と唱えていく。
弘法大師空海の掛け軸の前でそれをやるわけだから、もう何がなんだか。
父は、「犯した罪を許したまえ」と唱えられるたびに泣く。
そして、カルト宗教の方がいなくなると酒を浴び、
「俺が母親を殺したんだ」と叫ぶのであった。兄と私は外に出て行く。
翌朝、母の電話で、母親の父(父にとっては舅)と、父の姉(怖い人)が来て、説教される父。
そんな毎日だった。

自分で言うのもアレだが、暗い暗い女子だった。
そんな私がキリスト教の学校に入り、救いを求めてキリスト教信者になったわけだ。
だが、井上洋治神父みたいな方には出会えなかった。
「鳥居はくぐるな」
「仏教式の葬儀には行くな」
「会社の同僚の葬儀に行ったけど、自分はクリスチャンだから線香あげません宣言した」
みたいな、そんな偏り過ぎた方たちばかりだった。

そして、キリスト教信者というのは、毎週日曜日に教会に行かねばならない。どこでもいいわけではなく、自分の所属する教会だ。
「共同体」というものを重んじるのだ。
私は、その「共同体」とかいうのが重荷であった。
一時期、あるカトリック教会において、酷い虐めにあい、胃に穴があいた。
その後、カトリック教会をは除籍された。代母、つまりゴッドマザーとの関係からだ。
ハリウッド映画にゴッドファーザーという映画がある。アメリカに移住したイタリア系マフィアの抗争物語だが、ゴッドファーザーとは代父。カトリック信者なら絶対的な存在なのだ。

これは私が100%悪いのだが、「共同体」に従う事が出来なかった。
そして、イエス様だけを見たいのに、人間を見るしかない教会に疲れてしまったのだ。
毎日毎日、文句ばかりの日々だった。家庭、仕事、買い物、調剤薬局・・・クレーマーだった。感謝なんかなかった。
形だけの教会通い。

カトリック教会破門後、プロテスタント教会幾つかにも行ったが、やはり自分は変わらなかった。
そして、教会に行くのをどうしようか悩んでいた頃、秋田県に実家の曹洞宗の寺で働いている大学の友人を訪ねに行った。まあ、彼女に会うよりも、菅義偉先生の実家に行きたいとか、歌手の高橋優が横手市なんだよな。などと言う、そんな想いであった。

その少し前から私は、近くのお寺や鎌倉殿の13人のゆかりのお寺に行っていた。だが、御朱印帳など持っていなかった。御朱印を軽蔑していたのだ。
あんなのにお金を出すなんて、と。

彼女と会ってから、イヤ、その少し前あたりからだろうか。もう教会に行く気はなくなっていた。

その後の詳しいことは、こちらにある。


この記事を書いた頃は、やはりお寺に行っても人を求めていたと思う。
「宗教家は親切にしてくれて当たり前」と。

そんな気持ちを打ち砕いてくれたのが、戸塚にある曹洞宗寺院だ。
名前を出すと、誹謗中傷で訴えられかもしれないので出さない。

秩父にある札所の人たちと違う冷たさに、寧ろ自分は反省させられた。
そうだ。他人を求めるのではない。ただ、お寺を参拝するだけにしよう。
御朱印が貰えなかったらそれも受け入れようと。

そこから、私の百寺巡礼に臨む態度は変わっていった。あの時の冷たい顔と態度に今は感謝している。

50年近く、祖母の最期の言葉に苦しめられてきた私だが、Twitterで知り合ったある僧侶に聴いて頂き助けられた。

真言宗の僧侶であり、この方の慰めから平安な気持ちになっていった。

井上洋治神父は「イエスが私を捉えて離さない」と言われたが、それは神父の家がカトリックだったからではないだろうか。
私の場合、「弘法大師空海が私を捉えて離さない」のだ。

私は、自分は生きていてはいけない人間だとは知っていた。だが、死んだら祖母に会うのだと思うと怖くて自殺もできなかったのだ。キリスト教信者になったら回避できるかなどと安易に考えてしまったのである。

神仏分離令を無視し、神仏習合時代に立ち返り、神社をも参拝するようになり、更に心が落ち着いてきたと思う。
教会では、誰か親しい人がいないと中にはいれない。或いは、口を聞いてくれそうな人を探していた。
だが、神社仏閣では、人ではなく神仏と出会うを純粋に求めている。
独りで、好きな時に(と言っても、神社や寺の都合で何時に閉めるなどがあるが)、好きな所にいけるのだ。本当に自由を感じる。
元々が私は多動で、礼拝堂にじっと長時間座っていることが苦手だった。
幼稚園の頃から、人と同じ事が出来なかった。
だからキリスト教会とは合わなかったのだと思う。
それはそれで仕方がない。


あまり他人に対して文句を言わなくなってきたようだ。スーパーなどでのクレームもしなくなってきた。
他人を変えようなどとはしない。変えられないのだから。


ただ、私は仏の世界のことに関しては本当に無知だ。恥ずかしいことに。
むしろ、キリスト教の方が詳しいだろう。
今後も無知を曝け出して生きていくのだろう。
だが、そこはゴイゴイスー!と過ごしていきたい。



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