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禁漁区 乃南アサ~読書記録3~

乃南アサ「禁漁区」を読んだ。
主人公直子は、アラフィフティーの警察官。
お気に入りのホストに惚れ込み、お金を作るために自分が通うお店とは別のホストクラブの支配人を警察手帳を使い脅し、売掛金が貯まり困っている客を騙し、それぞれから多額のお金を貰うという。

最後には、彼女は人事に呼ばれ、「恐喝、詐欺、収賄の容疑で逮捕状」という結末になる。

だがしかし、彼女がここまで堕ちていく課程にあった夫の無関心。それを私は強く感じた。
「帰れない」と一言電話すれば、「そうか」で、1人で夕飯を作り、1人で食べる。

「愛の反対は無関心」この言葉を感じずにはおれなかった。

私も直子と同じだ。夫は私が今何をしているかを知らない。土曜の夜でも日曜でも「出かけるから」と言えば「あ、そう」で終わり。関心がない。

私が、てんかん発作で噛みきった舌の肉が喉に詰まり無意識状態で死ぬ寸前だった時も夫は「あ、そう」で再び寝て(祭日で家にいた)、私は1人歩いて救急病院に行った。


だからやはり、愛の反対は無関心なのだと思う。「夜更かしするからだ!」とか、「寒くないようにしなかったのか!」(私の場合、寒いと起きるようでもある)とか罵ってくれた方がまだいいのだろう。

であるから、「荒らしはスルー」などと言うが、構ってチャンは案外罵りや批判が嬉しかったりするのだ。誰かが自分を相手にしてくれるのだから。
同意コメントも批判コメントもなし。もちろんイイネもつかない。ラインで言うと既読スルーどころか既読にもならない。これこそは「自分は誰からも必要とされていない」と、寂しく感じるものなのであろう。

「禁漁区」の主人公・直子は、ホストに自分の寂しさを癒してもらった。たとえそれが一瞬の金銭目当てだとわかっていても、その間だけは「自分を必要としてくれる人」がいるのだから。

私はネットの中にそれを求めてしまった。騙されたとしても、荒らされて嫌がらせをされたとしても、たくさんのコメントはあった。
うるさいくらいのメッセージはあった。(そのメッセージのおかげで食事も摂れず。ダイエット出来ました!感謝します。)

だがいつまでもそれが最善とは言えない。
人は独り。独りで生まれ(双子や五つ子などという例もあるが)、独りで死ぬのだ。
自分を受け入れ、認めるのは己のみ。それを理解するべきと感じている。。。。

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