立花隆最後に語り伝えたいこと~読書記録361~
立花隆最後に語り伝えたいこと: 大江健三郎との対話と長崎大学の講演 2021年
立花隆が「どうしても最期に残しておきたい」と切望した遺作。未収録の「肉声」を中心に編んだ。
【第一部】は、ヒロシマ、ナガサキ、アウシュビッツの恐怖をなんとしても若い世代に伝えたいと、2015年に長崎大学で行った講演「被爆者なき時代に向けて」などを収録した。
【第二部】は、ソ連が崩壊した1991年に、21世紀を見通そうと大江健三郎氏と行った対談を収録。あれから30年が経過したが、二人の巨匠は、この先もますます深刻になるであろう環境汚染、人口問題、排外主義、格差拡大、核拡散など地球規模の危機をぴたり見通していた!
立花隆
1940年長崎県生まれ。64年、東京大学仏文科卒業後、文藝春秋に入社。66年に退社し、東京大学哲学科に学士入学。その後、評論家、ジャーナリストとして活躍。83年、「徹底した取材と卓越した分析力により幅広いニュージャーナリズムを確立した」として、菊池寛賞受賞。98年、第1回司馬遼太郎賞受賞。著書に『田中角栄研究 全記録』『日本共産党の研究』(講談社文庫)、『宇宙からの帰還』『脳死』(中公文庫)、『脳を鍛える』(新潮社)、『臨死体験』『天皇と東大』(文春文庫)など多数。2021年4月30日永眠。
立花隆先生は亡くなる直前まで知の活動をされていた方なんだなと思った。
この本で知った事実として、1951年のサンフランシスコ条約の頃まで日本は広島で起きた事を殆ど知らされなかったのだということだ。
アメリカ軍が写真をたっぷりと撮影していたのは、原爆の成果に喜ぶ姿勢なのだろう。その写真を立花隆先生や他の日本人が改めて見た時のショックはすごかったのだろう。
核兵器に関しても、被爆国と戦勝国の感覚は違うのだ。
立花隆先生は、左翼思想でもなく右でもなく、悪いものは悪い!間違っているのだ!と、ハッキリ言える方なのだと思った。
大江健三郎先生との対談も内容が素晴らしかった。
解説の保阪正康氏により、立花隆先生の親戚筋である戦前の右翼活動の橘孝三郎氏の事も知った。
立花隆先生の素晴らしさを改めて知った書であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?