若き日の友
「空気と光と友人の愛、 これだけ残っていれば気を落とすことはない」
ドイツの文豪、ゲーテの格言である。
学生時代から大好きだった街がある。社会人になり一人暮らしを始めるなら、絶対にそこに住みたい!!と願っていた街だ。学生時代、その街に住む友が「え?どの辺に住むの?」と喜び顔。だが、「叔父さんの家の近くで、叔父さんが保証人にならないと許さない」と言う厳しい母に逆らえず、埼玉県の別の市に住むことになってしまった。(言いたくはないが、母は今流行りの毒親なのだろう。だが、私が勇気を出し、変わったことで関係性も変わった。毒親だの親ガチャだの言う人には、己が変われ!と言いたい。)
憧れの街には住めなかったが、休日には出かけていた街。。。
そんなある休日、ショッピングセンターの化粧品売り場で声を掛けられた。
「川越に派遣されたら、会えると思っていたんだ」と。
彼女は、どこかの化粧品メーカーの販売員として、各地に行っていたようだった。
学生時代の大切な友。
今までは私自身のコンプレックスがあり、故郷の同窓会には参加せず。学生時代の人たちとも縁を切っていた。そのコンプレックスとは、息子の事だった。世間に顔向けできない。 息子が思うようにならず、「ニートの引きこもり」「価値がない」だの、カトリック教徒たちから言われ。私自身、誰とも付き合いたくないとなり。。。だから、学生時代の友人達、独身時代の友(会社員時代の飲み仲間など)とは絶縁していた。
そんな時、岸見一郎先生の著書やWebで読むもの似随分救われた。
そして、今年の正月。年賀状を貰いながらも出していない友に私から電話をした。
今は便利だ。遠くにいても、ラインで話せるし、通話、メールと無料であるし、有難い世の中になったものだ。
彼女は変わらなかった。話していて、「昔から私って変わらんなあ」と思った。で、独身時代に付き合っていた人たち(会社の同僚なども)は私の短所を許し、受け入れてくれていた。それがわかった。同じ事をしたとしても、大袈裟にネットで拡散、仲間たちと馬鹿にし、炎上。そんな中にこの数年間ずっといた。世の中、そんな人間ばかり。日本人は誰も信じない。と思って、独りで必死に生きてきた。けれども、若き日の友の存在は有難い。
思うに、私立の学校は、ある種、同じようなタイプが集まり、価値観も似ているのかもしれない。息子の私立中高でも言えるのだが。
私は学生時代、自分の私立学校の学費を知らなかった。親任せ。。。その学校は、入学早々、軽井沢にある星野温泉ホテルを貸し切り、入学セレクションを、、、のようなところで。バイトをしている子もいなかったし。何人かは就職しないで花嫁修業して、だったような。年を取り、数年前のパート先で、高校生、大学生のバイトの子を観て。自分らは世間知らずの類だったのだろうな、と理解した。良い意味で世間知らず。だから、人に対して悪意だらけのネット民とは違う。
あとどのくらい健康でいられるかわからないが。身体はともかく、頭がね。。。昔の友人を大事にしたい。
自分の今を受け入れた事によって、やっと素直に生きられるようになった。
感謝。
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