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ひきこもれ~読書記録122~

元は、吉本隆明氏が2002年、77歳の時に執筆したものを、斉藤孝先生らが再編集したものである。

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かつての日本では「職人気質」が重要視されており、その人の個性なども大事にされていたのに、何故か、この頃の日本ではコミュニケーション能力の高いことが良しとされる。

単純に「1人は良くない」と言っていいものなのか?
吉本隆明氏の軽快な語り調の文章に引き込まれていく。

現代ではSNSの普及により、まとまった時間を取れない。斉藤先生の言う通りである。
先ほども、大好きな麻見和史先生が仕事をしながらツイートをされていた。

昭和の頃の作家なら、電話は固定電話のみ。気晴らしも風呂くらい。
今の作家は誘惑が多く、大変だなと思う。

7年ぶりって。。。
Twitterばかりしてないで、本業してください、とファンとしては言いたくなる。

だが、麻見先生も、知念ちゃんも、時代的に観ると、パソコンでの執筆。
原稿用紙と違い、腱鞘炎にはならないし、直しは楽であるが、詰まった時に、ついついTwitterなんぞを覗いてしまう誘惑はあるだろうな、と可哀そうにもなる。
そういう点が、大正生まれの吉本隆明氏とは違うのだろうが。


昔は「ただの変わった人」で通ったものが、今は「発達霜害」だの「HSP」だの大袈裟すぎる。
私も吉本隆明氏と同じように、独りが好きな引きこもり症なのだ。
学校や会社に迷惑を掛けなければいい。そんなもんだった。
誰だって
「ああ、今日、めんどくさいニャ。仕事行きたくないニャ」
なんて日はある。

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私が若い頃は「学校は自主休講」「会社は親せきが死んだ」で休む。
で、又、元気になって。なんて人も多かった。

今は、そんな鬱気味になったら精神科やらカウンセラーに行くとか。
大袈裟だなあ、と思う。
四季、天気と同じ。人間だって波がある。

だいたい、何故、1人がダメなんだろうか?
かなり前に、「大学のトイレで食事をする」という話を知った。
なんでも、自分がランチを食べる人もいない人間と思われたくないとか。

お一人様ランチ。最高やんか。などと言う私がおかしいのだろう。多分。

「ひきこもれ」という一見、乱暴に思えるタイトルも、「1人でいることは悪い面だけではない。じっくり考える機会」という著者の想いが込められている。

やがて、時は来るのだ。


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