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社会保障制度を思う

東京都新宿区、特に歌舞伎町界隈を拠点に活動していたColaboの問題は根が深い。

だが、それとは別にして。心身の病気、親族や頼れる人がいない、などの理由で社会保障を受ける事は別段悪いことではないと思う。

戦前には社会保障制度というものはなく、それこそ、結核などで仕事を解雇され、家族親族からも縁を切られ、偏見の目で見られてきた人たちを受け入れたのが教会やお寺だった。
衆議院議員で、生活保護法案を提案、成立に頑張られた長谷川保氏の自伝では、教会の青年会だけで結核の人を助けるだけでなく、お寺の方にも世話になった旨、書かれている。

長谷川保氏は純粋に、困難な方を助ける信念を持たれていた。

だが、令和の今は、公金チューチューなんて言葉もあるくらいだ。
本当に援助が必要な人と、そこまでは必要ないだろう。の線引きが難しいのかもしれないが。

Colaboというか、社会保障制度利用の不正を叩きながら、自分もで炎上しているのだろうが。



頻繁に「死にたい」ツイートをされる方だと思っていたのだが、2014年からだったとは・・・

ハッキリ言ってしまい、申し訳ないのだが、親や親せきに頼れないなら生活保護受給になってもいいのではないだろうか。

この人のツイートを読むと、希死観念が強く、措置入院したら?と心配するほどなのだ。
プライド云々の問題ではない。

Twitter有料プランのようだが、それはあくまでも生活に余裕のある人がやるものだと、私個人の感想だ。
私は、SNSにお金をかけるもんではないと思っている。課金してまでゲームはやりたくないし、ツイキャスも有料だったらやらないだろう。

もちろん、東京都の税金の不正会計は許されるものではない。これは、都民ファースト議員で、長友佑都選手の義理の弟さんにも言いたいのだが。

だが、出来ない時には休んだっていいだろう。

人は、「どこかに所属したい欲求がある」と言う。私は、カトリック教会の入門コースで習った。
上に挙げた希死観念の強い方には特に感じる。
ネット、ネット!と騒がずに、例えば、どこかのひなびた寺で座禅を組む、小さな教会で掃除の奉仕をする、そんなのはどうだろうか。
存在意義、所属の欲求は満たされると思う。

それよりも、社会問題は、他の方、適当な議員さんに委ねて、ご自身のことだけ。自分ファーストでいて欲しい。Colaboをやたら叩くよりも、自分の心身の方が大事だ。

私は、所詮他人事なんだろう。

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