丸子の神宮寺 川崎市中原区 真言宗豊山派日吉山神宮寺大楽院 私の百寺巡礼187
東京、神奈川にまたがる多摩川。川崎市中原区にある真言宗豊山派の大楽院は多摩川沿いにある。
大楽院は奈良・長谷寺を本山とする真言宗豊山(ぶざん)派の寺院で、もとは山王社(現・日枝神社)の神宮寺を務めていました。
現在、本堂の脇壇に祀られている木造釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)(市重要歴史記念物)は高さが2m余りもある大きな作品で、印相(いんそう)(仏の手の形)は瞑想している姿を表す禅定印(ぜんじょういん)を結んでいます。
像は2材以上の木を前後あるいは左右から組み合わせて根幹部を構成する寄木造(よせぎづくり)で造られ、目には薄く磨かれた水晶に瞳を描いたものを内側から嵌(は)め込む玉眼(ぎょくがん)の技法が用いられています。
また、胎内の空洞部には長い銘文が墨書されていて、これによると本像が戦国時代に武蔵国世田谷と蒔田(まいた)を領有していた吉良(きら)氏を継ぐ吉良氏朝(1543~1603)とその家臣たちが、一族の「所願成就・皆令満足」を願って長鑑という鎌倉仏師に命じて造立させた像であることがわかります。
脚部にみられる着衣の複雑な表現や服制などに、鎌倉時代以降に流行した宋元風(そうげんふう)と呼ばれる中国の影響を受けた作風の特色が現れていますが、のびやかさは失われ形式化が目立っています。胎内の銘文には正確な制作年代は記されていませんが、作風からも発願主である吉良氏朝が活躍した室町時代末期頃の造立と思われます。
戦国時代には武将の念持仏や守護仏のような小型の仏像は比較的多くみられますが、本像のような大型像は珍しく、銘文によってある程度造立の経緯がわかる点でも貴重な存在といえます。(川崎市ホームページより)
真言宗豊山派寺院の大楽院は、日吉山神宮寺と号します。大楽院の創建年代は不詳ですが、古くに創建したと伝えられ上丸子日枝神社の別当を務めていたと伝えられます。延宝7年(1679)に中興したといいます。玉川八十八ヶ所霊場18番、准秩父三十四札所観音霊場11番で、川崎七福神の恵比須となっています。
手水舎にはオシャレな蓮の花がある。
弘法大師様も力強い。
可愛い手彫りのゴミ箱。欲しいやないかーーー。
玉川霊場18番にもなっており、川崎七福神巡りと。色々と見所の多い寺院であった。
すぐ近くに丸子山王日枝神社があり、明治維新まではそこの別当をしていたのだ。
神宮寺という名前から想像がつくように、神仏習合の時代に神社と共にあったお寺なのだ。
更にここはたまらんぞおおお。
そう、ここは撮り鉄スポットでもあります!
あああ、御大師様の傍で鉄道写真撮りまくりたい!
そんな場所でありました。
真言宗豊山派日吉山神宮寺大楽院
川崎市中原区上丸子八幡町1522
東急線新丸子駅より徒歩7分 JR武蔵小杉駅より徒歩15分
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