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正しく生きるとはどういうことか~読書記録131~

生物学者で、1998年当時、山梨大学教授であった池田清彦氏のエッセイ。
現在は、山梨大学、早稲田大学と名誉教授である。

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結論から言うと、「自分の権利と他人の権利を知る」ことだ。
自分がこの人を好きだと思うのは自由。けれども、他人は自分を好きではないかもしれない。それに対しては、相手の想い、自由を受け入れるということだ。

善く生きるとは、あなたの欲望を最も上手に開放することだ。

著者はこう述べている。
法律、規範。様々あるが、社会の迷惑にならない範囲で自分の規範を持ち、自分の欲望のままに生きること。

世の中の道徳やら社会規範などは、およそフィクションであると著者は述べている。

例えば、不倫、援助交際(書かれた時期にはこの呼び方だったが、いまはパパ活)など。道徳的にはいけないのだが、社会全般に迷惑をかけないなら、他人からどうこう言われるものではない。
煙草、酒なども個人の嗜好だ。

と、ここで私が言いたいのは、確かにタバコを吸うのは個人の自由なのだが、火のついた吸殻をその辺に捨てるのは困るのだ。
ゴミ置き場にあったりもした。
これこそ、自分の欲望が社会の迷惑になることだ。

自分が最も心楽しく生きられる規範を選んで、なるべくそれを守って活きる他に、善く生きる道はない。それは他人ではなく、自分自身で決めることだ。

正しく生きる、正義という言葉が出て来るであろうが、それは、時代により、国により変わるものだ。
キリスト教にとっては異教徒をは人とみなしていない部分がある。
それでも正義だ。

人は他人の恣意性の権利を侵害しない限り、何をしても自由である。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。

これが、著者が考えた正しく生きるための公準である。


追加しておくならば、この方は、紛れもない共産主義者である。


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