![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82257502/rectangle_large_type_2_8166a99b284110c45b0cd6918d218687.jpg?width=800)
正しく生きるとはどういうことか~読書記録131~
生物学者で、1998年当時、山梨大学教授であった池田清彦氏のエッセイ。
現在は、山梨大学、早稲田大学と名誉教授である。
— 池田清彦 (@IkedaKiyohiko) June 10, 2022
結論から言うと、「自分の権利と他人の権利を知る」ことだ。
自分がこの人を好きだと思うのは自由。けれども、他人は自分を好きではないかもしれない。それに対しては、相手の想い、自由を受け入れるということだ。
善く生きるとは、あなたの欲望を最も上手に開放することだ。
著者はこう述べている。
法律、規範。様々あるが、社会の迷惑にならない範囲で自分の規範を持ち、自分の欲望のままに生きること。
世の中の道徳やら社会規範などは、およそフィクションであると著者は述べている。
例えば、不倫、援助交際(書かれた時期にはこの呼び方だったが、いまはパパ活)など。道徳的にはいけないのだが、社会全般に迷惑をかけないなら、他人からどうこう言われるものではない。
煙草、酒なども個人の嗜好だ。
と、ここで私が言いたいのは、確かにタバコを吸うのは個人の自由なのだが、火のついた吸殻をその辺に捨てるのは困るのだ。
ゴミ置き場にあったりもした。
これこそ、自分の欲望が社会の迷惑になることだ。
自分が最も心楽しく生きられる規範を選んで、なるべくそれを守って活きる他に、善く生きる道はない。それは他人ではなく、自分自身で決めることだ。
正しく生きる、正義という言葉が出て来るであろうが、それは、時代により、国により変わるものだ。
キリスト教にとっては異教徒をは人とみなしていない部分がある。
それでも正義だ。
人は他人の恣意性の権利を侵害しない限り、何をしても自由である。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。
これが、著者が考えた正しく生きるための公準である。
安倍元首相の狙撃事件と、憲法改悪は全く無関係だ。これを機に憲法改悪の機運が盛り上がると予想する人もいるが、現行憲法は国家間の暴力も含め、いかなる暴力も認めない世界一の平和憲法なのだ。そのことを肝に銘じておかないと、日本の未来は酷いことになると思う。
— 池田清彦 (@IkedaKiyohiko) July 8, 2022
追加しておくならば、この方は、紛れもない共産主義者である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?