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童門冬二先生講演会

2012年11月3日(土)文化の日。近所の浄土宗のお寺に大好きな作家、童門冬二先生が講演に来られるということで、参加した。

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その時、中学1年生だった息子も同行。彼は、お寺の庭にあったジャイアンの石像に何故か感激していた。

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童門先生は(当時)御年85歳。まだまだ気力、体力と共に衰え知らず、認知もまったくなく、TVで見るよりも実際にお会いした印象の方が若々しい。

話の内容であるが、浄土宗の開祖であられる法然上人の本を童門先生に依頼、執筆中とのことで、法然上人についてが主なテーマであったが、あちこちに脱線し、そこが又歴史好きにはたまらなかった。又、話も本当に上手で、惹き付けられるのであった。

法然上人は、平安時代末期から鎌倉時代に移りゆく時代の僧である。平家が君臨する時代、「平清盛」「保元の乱」「平治の乱」「壇ノ浦の戦い」「源平合戦」などの言葉が飛び交う中、日本史が赤点の息子はわけ分からず。「平忠盛(平清盛の父、別名、中井貴一」これに大受けであった。こんなんでどうするのかと心配の母であった。

他に、童門先生のペンネームの由来。「どうもすいません」からというこんなことばかり覚えてきた息子。これは、童門先生が東京都庁勤務であったのだが、当時、「どうもすいません」ばかり言ったかららしい。職務としては、美濃部知事の秘書であった。都庁の後輩に俳優の役所広司がおり、演出家の仲代達也が「役所勤めだから」とつけた芸名であるということも周りには受けていた。

さて、本題の法然上人の教えであるが、法然上人は平安時代末期、京都で浄土宗を開いた僧である。教えの中心にあるものは「今いる場所で手抜きをしないで一所懸命やること」

法然上人の時代は、鎌倉に多くの新興仏教が現れる時代であった。鎌倉仏教の特徴として、「外に出て教えを広める」というものがあった。京都の仏教の特徴、特に浄土宗は「内にいて、来る者拒まず」の精神である。法然上人は「どこからどう聞かれても答を持っておられるお方」であった。

論語からの話をされたが、孔子の弟子である子貢は「先生の弟子の中で私が一番頭が悪い。何が一番大切な言葉か?」と師に聞いたところ、「如」という言葉を教えられたという。これは、「いつも相手の立場に立って物を考える。人に対する思いやり、優しさ」を意味するそうである。

又、「恒産」とは、「如の心が持てるような心」を言う。

「恒産」「如の心」などと簡単に言うが、もっとわかりやすく言うと、「なら人間」になるということだそうだ。

「なら人間」とは・・・

「あの人の言うことなら正しい」「あの人になら安心して仕事を任せられる」「あの人の言う事なら信頼できて、みんなが従う」
ということである。

これは、童門先生自身が美濃部知事から「童門になら任せられる」という体験をしたからであろう。


平清盛の話は歴史の教科書に委ねるとして、法然上人の教え、生き様。大いに学ぶ所があった。

その当時、私は市内の介護系の会社で働いていた。
その会社では「なら人間」の先輩を何人も知っていた。「あの人になら安心して、どんな仕事も任せられる」という頼もしい方達。
そこまでなるには、まだまだ先が長そうで私の寿命が尽きてしまいそうだ。しかし、「今いる場所で手抜きをしないで一所懸命やること」。この教えは、この日以来、私の中で確実に身についている。
そして、街で見かけた曹洞宗のお寺にあったありがたいお言葉。
「人から感謝されようと思ってやった事は大抵感謝されない」。


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その通り
手抜きをしない、誠実な人間となろう。



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