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ブラック・ジャックは遠かった~読書記録82~

2013年、発行。作家、久坂部羊先生のエッセイで、大阪大学医学部学生時代、研修医時代の青春時代の想い出を綴っている。

先生は、大阪生まれの大阪育ち。
この本の会話は関西弁(河内弁?)が多く、実に読んでいて楽しく、朗読にはもってこいの本であった。
又、先生のユニークな人柄か。面白い!の一言に尽きる。

タイトルにある「ブラック・ジャック」は、手塚治虫先生の代表作とも言える、医師が主人公の漫画である。
手塚治虫先生自身が、大阪大学医学部出身で、著者のお父様は、手塚治虫先生の2学年上であるという。つまり、久坂部先生のお父様も医者だ。

現在は、吹田市に建物があるが、手塚治虫先生や久坂部先生が学生だった頃は、大阪市の中の島に校舎があったという。
校舎内法医学教室には、昔から標本室があり、全身刺青の皮膚であるとか、畸形嚢腫の標本などがあり、手塚治虫先生はブラック・ジャックの話を描く時のネタにしたのだな、という事もわかり、楽しかった。
ピノコは、元々は畸形嚢腫であるが、当時の阪大医学部校舎の標本室に漫画そのままのホルマリン漬けがあったという。

著書の中に、青森県恐山を旅行した話が出て来る。
恐山のイタコに呼び出してもらいたい人がいた、との事であった。
それで思い出したのは、私の父が若くして事故で急死した時に、伯父、叔父らが
「恐山に行こうな」
と、計画を立てていたことだ。
結局、その計画は叶うことはなかった。彼らも若くして亡くなってしまったのだ。毎晩、ウイスキー1瓶、日本酒数本、以上という習慣が原因?か!
今は、イタコはどうでもよい。何故なら、誰も死後の事はわからないから。
実際、私が会いたい父や伯父は津軽弁は話せないだろうし。
それでも、いつかは恐山に行こう!と、又、旅行費用を貯めるべくケチケチ生活に励むのだった。

先生が麻酔科での研修医時代の事を書かれておられたが、納得し、頷く私だった。
もう10年近く前になるのだろうか。私は、東京都中央区にある、有名な総合病院で手術を受けた。自分から全身麻酔をお願いしたのだが、6月の初めの事で、何か知らないが、手術前に大学を出たばかりだという若い医師たちが何人も挨拶に病室に来た。
そこの病院は個室しかないのである。
で、手術の時もずっといたようであるが、彼らの声が聴こえていたのである。どこどこの女医が美人で、指導医は喜ぶよなとか、楽しい話題ばかり。
そのうち、外科医、看護師らまで慌てる声がしていた。
麻酔の量を間違えたようで、私の意識が戻らなかったらしい。
その後、私は意識がもどらず、ベッドで全身けいれんの為に手足を縛られていた。
意識が戻った後、「トイレに行きたい」旨を看護師に言うと、
手足の拘束を解けないので、紙おむつにしてくれ、と。
食事を拒否して我慢したのだった。

当時の私は、大変なヘタレ(今も?か!)で、とにかく、痛みやら、メスが目の前にあるのが怖かった。だから全身麻酔を頼んだのであったが、この本を先に読んでいたなら、局所麻酔でも良かった感が否めない。
今は、だいぶ強くなり、麻酔なしで舌の手術も出来るようになった。舌に注射する痛みから、麻酔が効くまでの間に、一気に処置出来る医師であった。
怪我をし、血が止まらない、も昔は大騒ぎしていたが、今は平気になった。
人は変わるものだ。

自分の体験はさておき、思ったのは「医師も人間」。そして、患者も人間。
現代の高齢化社会における医療をどうしたいか?
日本人のテーマの1つとも言えるかもしれない。


こちらに久坂部先生の著書をあげておきたい。





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