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神仏習合の花まつり 秩父市上吉田 真言豊山派地光山宝生院正福寺別当米山薬師堂 私の百寺巡礼155

米山薬師公園。ここでは毎年5月にお釈迦様の誕生を祝う花まつりが開催される。
え?お釈迦様の誕生日って4月8日じゃないの?か!と言われるだろうが、旧暦の4月8日だ。つまり、新暦だと5月だ。


オイラもお釈迦様と誕生日が一緒ニャ。4/8生まれ。

埼玉県秩父市の山の中。子供たちが中心になって花まつりを続けてきた地区がある。


こちらは、真言宗豊山派から刊行されている機関紙である。
実家に行くと貰ってくるのだが、なんと!!
昔世話になったお兄さんが取材を受けていたのだ。
秩父市観光案内、真言宗豊山派機関紙記事からわかるのは、お釈迦様のお誕生日の準備を熊野神社のお堂でしているということだ。
多分、Twitter辺りにいる右翼系の自称神職さんは怒るだろうな。
彼らは未だに廃仏毀釈を主張するから。


西武秩父駅からバスで1時間ほど行くと、バス停の前にあるのは熊野神社の鳥居だ。

小学生の時、友達とここでよく遊んでいた。
あれ?こんなに立派な鳥居だったかな?記憶にないなあ。やはり認知症が進んでしまったのだろうか。
などなどと思い、バス停の近くにいた通りがかりの人に声を掛ける。

ああ、そこの鳥居は少し前に新しくしたんだよ。との事であった。
いやあ、田舎の人は喋る、喋る。
えええ?自転車屋さんのお兄さん、亡くなったの?60歳くらいでえ?などと情報を聴きだした。

こちらは、ネットで拾った写真だが、そう、旧い木の鳥居だったのだ。
どなたかが寄贈されたらしい。

こちらが熊野神社のお堂になる。
実は私が小学生の時に土日、このお堂を借りてそろばん教室の塾が開かれていた。町から若い女の先生が車で来ていたのだ。
鳥居を抜けて、このお堂の前に自転車を停めて通ったのだ。

しかし、今ここで大変な事に気づく。この石段が急すぎて怖いのだ。お堂の入口も石段と近すぎる。
小学生の時は、この石段でゲームとかしたり走ったりしたと思うのだが、何故にこんなに足腰が衰えてしまったのだろう。


熊野神社の裏だ。小学生の時にここでよく遊んだ。
多分、Twitter右翼系神職からは、神の怒りに触れるとか言われそうだな。


熊野神社はバス停の真ん前なのだが、米山薬師までは脇の山道を登って行くのだ。


夏は百日紅の花くらいしか見えないが、春はツツジ、ヤマブキと山は鮮やかだ。

春はこんな感じだ。

こんな険しい山道を登っていくわけだ。
バス停にいたお爺ちゃん。5分で薬師堂に着くって言ったのだが、え?遠いやんかーーー。
イヤイヤ、そうではない。私の足腰が衰えたのだ。
小学生の時には、この山道を息も切らせず走ったのだから。

しかも、怖い看板があった。
この辺は熊が出る為、猟銃の資格を持った人が来るわけなのだが、
「この辺りには民家があります。銃を打つのは辞めてください」
とな。
熊より怖いよおお。


やっと到着。こんな山登りをするとは思わず。やはり、袋自体が重いショルダーバッグではなく、軽いウエストポーチに登山用の錫杖を用意すべきか?

眺めが素晴らしい。
これが薬師堂になる。

 延亨3年(1746)真言宗豊山派地光山宝生院正福寺を別当寺として、上吉田宮戸の棟梁橋本運八郎により建立された。
 堂は三間四面で表1間半を吹き放した方形造で、3尺の浜縁と勾欄をめぐらし、屋根は茅葺型板金葺である。内陣は簡素であるが、外陣の格天井は51枚の極彩色花鳥図に飾られている。5月4日に行われる「花まつり」は、県指定無形民俗文化財である。(秩父市の案内より)

米山薬師公園として整備されており、山の上に公衆トイレもある。埼玉県から維持費も出ている。
本当にこのような場所は残して欲しい。

山を降り、9時に約束していたお兄さんの所に行く。


写真撮影を忘れてしまい、Googleマップの写真を拝借した。
クロネコヤマトの旗もある。田舎によくあるお米屋さんに煙草屋さんに雑貨屋さんだ。
私が学生の時にクロネコヤマト利用が当たり前のようになり、郵便局は日曜日はやっていないしと、ここから荷物を送った。クロネコヤマトさんには感謝だ。

停まっているのは移動図書館の車だ。
私が小さい時は、熊谷市から埼玉県立熊谷図書館の移動図書館が来ていた。
この店の前を借りて、店のおばさん(お兄さんのお母様)と、近所のYさんという女性で世話役をしていた。
図書館カードもおばさん達が作ってくれたと思う。
皆野駅までバスで1時間、そこから秩父鉄道で1時間の熊谷市。
近くには本屋も図書館もなかった為、この移動図書館を本当に楽しみにしていたのだ。

お兄さんとは、花まつりの話を聴きだすというよりも、昔懐かしの話題ばかりだった。あああ、私の小学生の時の同級生の両親。殆ど亡くなっているのだな。
と、ここでまたしても失態が。
お兄さんの家から熊野神社とは反対方向に5分ほど歩いたら正福寺だった。とそこには、移動図書館で世話になったYさん、お兄さんの両親、同級生の両親、などなど。沢山の昔世話になった人のお墓があったのだ。
なんたるこったい。

そして、私の自己責任の極みがここでまた・・・・
ここに来たのは、バスを乗り継ぎ、倉尾線というバス路線だった。
帰りは、秩父吉田線で椋神社に行くぞーーー!と計画を立てていたのだ。
なんてこったい!
え?バス運休ですとーーー。

そう、バス運休の理由はこれだ。

タクシーを呼ぶか、違う路線のバスを3時間ほど待つか・・・
と困っていたら、お兄さんが自分の車で私の母の家(椋神社に近いのだ)まで送ってくれる事になった。
ダムが出来る前は、この辺りに住んでおり、この店でよく買い物をしていた我が家。
久々に母は再開出来て嬉しかったようだ。
耳は遠いが、認知症は全くないので過去の人をよく覚えている母であった。

帰りは、姪っ子が違うバス路線のバス停まで送ってくれた。

私は「すまない」「申し訳ない」ばかりだったが、お兄さん、姪っ子は、「お互い様」「おかげ様」
と言うのだ。
キリスト教会にどっぷりと浸り、ヨーロッパ、アメリカ人とばかり付き合ってきた私には、その感覚は新鮮だったかもしれない。
キリスト教社会は資本主義。自己責任の世界だ。事前に、こういう行事がありバスが運休を調べもしないで来たお前が悪いというものだ。

なんだか、己の原点に立ち返ったのであった。
ちなみに、やはりここは春のツツジの季節が最高なのだそうだ。
来年、又来よう。その時は正福寺に行き、仲良しだった友人の両親のお墓、大好きだった自転車屋のお兄さんのお墓。そこに行こうと思う。

真言宗豊山派地光山宝生院正福寺別当米山薬師堂
埼玉県秩父市上吉田4366
西武秩父駅から西武バス秩父吉田線にて上吉田で下車。目の前の熊野神社の鳥居をくぐって10分ほど山登り。

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