無罪~読書記録269~
2011年 推理作家・深谷忠記氏によるミステリー小説である。
息子と妻をシンナー中毒の通り魔に殺された新聞記者の小坂は、ある大学准教授の家を見張っている女性に出会った。准教授の妻は11年前、我が子2人を殺しながら心神喪失と判断され、無罪判決を受けていた―。無罪判決が下された時、本当のドラマが始まる。愛する息子と妻を通り魔に殺された男。我が子を殺しながら、心神喪失で無罪となった女。刑法第39条の壁で隔てられた、被害者、加害者双方の苦悩と葛藤を描いた、二転三転の書下し心理ミステリー。
人はいつ赦されるのか? 無罪判決が下された時、新たなドラマが始まる。
尚、著者は、刑法39条に類する関連の本をいくつも参考資料として使っている。
被害者の遺族としての小坂、香織の姑の貞子の立場が痛いほどに伝わってくる描き方であった。
だが、刑法に守られ、無罪となった者に何かしてやりたいと思ったとしても、反対にストーカー行為などでこちらが不利になってしまうのが実情である。
我が子2人を殺した香織は、酷い鬱状態であった為に、心神喪失であったとされ、無罪とされる。その判決の前には、慈善団体が支援する会などを作り、「旦那さんが忙し過ぎてノイローゼになった可哀想な女性」という運動をした事もある。香織は子どもを殺した後、離婚し、彼女を支援する会の一員であった年下の大学講師と再婚し、新たに子どもも授かったのだ。
それを知った、前姑の貞子としては何か苦々しいものを感じて当然だろう。
我が子(貞子にとっては孫)を殺しておいて、無罪となり、新たに家庭を築き、子どもまでいるのだから。
香織は、悲し過ぎるほどの罪意識に苦しんできたのだった。それはよくわかる。
だが、私個人の感想としては、香織の再婚した夫の平沼克則は甘いと思ってしまう。
救う会など作らず、きちんとそれなりに裁かれ、刑務所に入るなりした方が良かったのではないだろうか。「いのちの電話」というものが登場するが、刑務所内には教誨師という存在があり、キリスト教の牧師なり、真宗の僧侶なりが訪れる。むしろ、無罪判決を受けて家の中で引きこもり苦しむよりも、ずっと救われるのではないだろうか。
香織自身、何度も「自殺したら、死んだ子供たちに会える」と呟いているが、「はあ?」と思ってしまう。
あの世に行くにしても、悔い改めていない、罪を償っていない香織は、会えないだろうが。と、思うのは私が冷たい人間だからであろう。
私は、刑法39条は廃止すべきだと考えている。今の裁判制度にしても、被害者遺族の悲しみをわかってはいないからだ。
しかし、罪なきものまず石を・・・という言葉にも反するわけで。
やはり、難しい試験をパスした裁判官に一任すべきなのか。
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