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田中真紀子研究・立花隆~読書記録360~

2002年・知の巨人・立花隆先生によって書かれた。


田中真紀子の特異な人格はどこからきたのか。角栄と角栄以後の政治の流れと問題点を、立花氏でしかできない手法を駆使し徹底解明。

《「田中真紀子」研究のためには、どうしても、角栄という政治的にも人間的にもスケールが大きかった人物が描いた大河ドラマの軌跡を追う必要も出てくる。》立花さんは「はじめに」でこう書いています。本書は、田中真紀子を多面的に考察するとともに、時の首相を退陣に追い込んだ「田中角栄研究」の完結編でもあります。角栄、真紀子、越山会の女王・佐藤昭、早坂茂三と、個性的登場人物にはことかきません。資料を駆使し、エピソードの中から、権力、カネ、男女・親娘の愛憎にまつわるシーンを描き出します。小説より面白い人間模様として興趣つきない一冊です。(担当編集談)


立花隆先生が捉え方に納得し通しだった。
田中角栄の政治的遺伝子は娘ではなく、現在の自民党にある。鈴木宗男(本書が書かれた頃は自民党)のやり方は小さな田中角栄とか。

それにしても、その前の外務省問題といい、鈴木宗男問題といい、国会で真紀子がらみで問題になるのはいつも次元の低いやりとりばかり。あれで思い出したのは、かつての野村沙知代vs浅香光代の悪口雑言、罵詈讒謗(ばりざんぼう)大合戦。日本の政治は、田中真紀子の登場以来、救い難く低劣化し、ワイドショー化してしまった。(本書より)

ただ、父娘して他人が期待するものがあるのだ。そういえば、民主党発足時、田中真紀子に対して何かを期待していた日本人は多かったと思う。
私が勝手に思ったのだが、人を惹きつけ、期待させる。それって声じゃないかな?と。話し方とか。政治家向きの話し方、声ってあるんじゃないだろうか。
今井絵理子は確かに声が綺麗だ。歌手としては聴かせる、と思う。けれども政治家向きの声じゃない。演説は下手だし、聴かせる声ではない。 三原じゅん子議員などは、歌手として活動していた頃よりも、政治家として演説をする上で人を惹きつけている感じがする。

真紀子の有名な語録の1つに、「人間は三種類しかいない。敵か、家族か、使用人だ」というセリフがあった。
あれくらい、真紀子の人間性を表す言葉はありません。「使用人」という一般にはあまり使われないことばが、彼女の口からは本当によく飛び出すそうです。「あんたは使用人なのよ!」「使用人が何を言うの!」という具合に。(本書より)

以前に田中角栄を慕っていた自民党議員たちが田中真紀子と仲たがいしてしまったのは当然なのだろう。他人を見下す人間には誰もついていけない。

立花隆先生の取材力、観念の素晴らしさを又思う書であった。



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