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古刹!毘沙門堂! 新潟県南魚沼市 真言宗豊山派吉祥山普光寺 私の百寺巡礼179

上越新幹線・浦佐駅を降りると(私は越後湯沢から普通各駅停車だったが)、毘沙門天の旗が目立つ。

駅から徒歩で7分。
突然の大雨の為、写真があまり撮れなかった。。。この日は、突然の大雨にすぐに晴れたりと行動しにくい日であった。
駅から歩いてすぐの距離なのに、タクシーで行き、タクシー運転手の文句をずっと聞かされ、申し訳ない思いでいっぱいになってしまった。
車の停まる所がない、道が狭く動きにくい、などなど・・・
待っていてもらおうかと思ったのだが、あまりにも愚痴が酷いので、帰りは雨でも歩いて帰るからと直後に料金を支払った。
普光寺に着くとすぐに雨が止んだのだ。しかも、越後湯沢駅方面に行く国鉄が30分も遅延。
関東と違い、遅れた理由を言わないんだよなあ。東北、北陸は。
お寺から駅が見えたし、こんなことなら雨が止むまで少し待ち、ゆっくりと参拝したら良かったなと思うのであった。

承久三年(1221年)、鎌倉幕府(将軍源実朝)が、地頭平繁基をして毘沙門堂に堂領 を献ずるとともに、僧道乗坊辯覚を天王堂(毘沙門堂)別当に任じ、浦佐川西地区に境 を定め「永代殺生禁断」の令を下した。僧道乗坊辯覚はこの令を広めるため、また寺務執 行のため、この地に大伽藍を建てたのが「普光寺」の創始と言われております。
慶長年間火災により普光寺が焼失したため、約70年間にわたり本格的な寺院建築の寺 が無いまま経過してきたが、二十世賢弘和尚が延宝八年(1680年)四月「天下泰平・国 王長久・風雨順時・万民与楽」めため、檀信徒の協力を得て再建したのが現在の普光寺 であります。明暦三年(1657年)、徳川幕府は世間の風潮を憂い「嗜侈禁止令」を下した。 この令に影響されたものか、普光寺の柱材等にその面影を見ることができます。
以降約300年余、檀信徒のよりどころ、集いの場所、また毎年の毘沙門裸押合い大祭 の大祭本部及び講中宿泊場所として使われてきたところです。
しかし萱葦屋根であった寺も、時代の流れの中では、屋根修葦も材料・職人等の確保 が難しくなったため、昭和44年8月、檀家の理解・協力のもと萱葦の上に亜丹で覆い、 冬期間雪は自然落下になる様にしました。


入口の門が迫力があった。かなりの歴史を感じさせた。


毘沙門堂に仁王像と素晴らしい。
私が訪問した時は菊祭の最中であった。新潟県はこの季節、菊祭をするのだろうか?
岩室温泉近くにある弥彦神社でも菊祭だったようだ。
菊の黄色、イチョウの黄色。秋を感じる。四季のある日本は本当に素晴らしい。
受付で檀家の女性に声を掛けると、
「住職は長岡市にある寺院と兼務されてるから、たまにしかいないのよ」
と言いながらも本堂に案内してくださった。
なんと!幸運な事にいらしたのだ。

御朱印も頂けた。


橋を渡ると千手院がある。ここも事前調査不足というよりも、雨が降ってきたため、六日町駅でのレンタサイクルをキャンセルしての気まぐれな訪問だったため、旅から戻って知った事があった。

同じ豊山派寺院であるが、こちらは山号が違う。また本尊も薬師如来と違うのだ。
どうやら住職も違うようだ。

普光寺が黄色なら、千手院は紅いイメージであった。赤い橋、色づいた紅葉、お地蔵様の前掛けと。

又来たいと思う場所であった。

古刹寺や 雨に打たれし 菊の花

真言宗豊山派吉祥山多聞院普光寺
新潟県南魚沼市浦佐2495
真言宗豊山派大悲山千手院(番地同じ)
上越新幹線・上越線 浦佐駅より徒歩7分

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